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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

さよなら路面電車3 

さよなら路面電車3

電車利用者数は、昭和19年に1381万7187人の戦前最高数を記録、戦後は同33年に2470万3793人を記録しピークを迎えた。
しかし昭和40年代に入ってからは利用者数は減少の一途をたどり、経営状態も次第に悪化していった。
モータリゼーションが進行し、低速運行の電車は、利用者が少なくなっていったと考えられる。

山陽電軌では、経営の立て直しをはかるため、昭和44年10月に比較的利用者の少ない唐戸ー長府間、下関駅ー彦島口の路線を廃止、翌年からは、運転手のみのワンマン電車を運行させるなどの方策を取ったが、黒字経営への妙手とはなり得なかった。

そしてついに昭和46年2月6日、路面電車は全面撤退することになり、下関駅前を午後10時40分に出発した東駅行きが最終便となった。
こうして、市民の足として長く親しまれた路面電車は、45年間の歴史に幕を閉じたのである。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より

Posted on 2018/11/28 Wed. 11:31 [edit]

category: 下関の歴史論文

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さよなら路面電車2 

さよなら路面電車2

昭和7年9月には鳥居前ー長府駅前間が開通、その翌年には10月に壇之浦ー唐戸間が連絡され、市街電車としての体裁を整えた。
また同13年11月には唐戸ー細江間も開通して、市民の足として電車は重宝され、大いに利用された。
電車から伸びたポールが架線からはずれて立ち往生することもあったが、出発合図のチンチンと鳴る号令から「チンチン電車」の愛称で呼ばれ、市民に親しまれた。

路線は東駅を起点に西細江までの唐戸線、幡生線、長府駅前と西細江までの長関線があり、のちに大和線が加わった。

戦後も路線拡張が行われ、西細江ー下関駅間、下関駅ー彦島口間の運行がかいしされ、営業路線の延べキロ数は17.7キロに達した。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より

Posted on 2018/11/27 Tue. 09:10 [edit]

category: 下関の歴史論文

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さよなら路面電車1 

さよなら路面電車1

大正15年12月、山陽電軌株式会社によって、市街電車が初めて長府松原ー壇之浦間の5.4kmを走行した。
このときの電車は、日本車輌の製作したもので、当時の購入金額は7,000円、40人乗りの電車8輌が購入された。
車輌は山陽本線で長府駅まで輸送され、そこからは大型の牛車に乗せて、松原の車庫まで、三日がかりで運ばれたという。

当時、下関ー長府間の交通機関としては、土井、中林のふたつの乗合自動車が走っていた。
運賃は40銭から50銭であったが、新説の電車は1区4銭、全線4区16銭という格安の料金で、電車の珍しさとも相まって、多数の乗客を獲得した。

その後の路線の拡張をみると、昭和3年4月に長府松原ー鳥居前間が開通、同年12月には長州鉄道が敷設していた幡生ー東下関駅の路線を買収し、さらに翌4年には東駅ー唐戸間が開通して、幡生ー唐戸間が全通した。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より

Posted on 2018/11/26 Mon. 09:59 [edit]

category: 下関の歴史論文

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旧要塞地の一般開放3 

旧要塞地の一般開放3

昭和35年3月には「火の山ユースホステル」同44年5月には国民宿舎「海関荘」、同47年11月「火の山パークウェイ」と立体駐車場をそれぞれ開設、これより先、同年9月には火の山山頂へ1.5kmの遊歩道を整備した。
桜並木、市の花木つつじの植栽などによって四季折々の景観を楽しむことができ、さらに同年48年頂上に回転展望台を建設、二階の回転レストランは、食事をしながら360度の展望を楽しむことができる人気の施設となった。
この年には国民宿舎の東側に、老人休養ホーム「満珠荘」も建設され、下関の代表的な公園に、また観光の中心施設に育ったのである。

火の山公園に次いで大規模な公園施設となったのが老の山公園である。
対岸の北九州工業地帯、六連島から響灘の景観、特に落日の眺めは別格である。
ほかには椋野一里山の青年の家、霊鷲山の仏舎利塔、「思い出の森」を開設した金毘羅公園など、戦後市民に開放された旧要塞地は見事に蘇って市民に親しまれている。

なお、火の山ロープウェイは平成15年3月から運休していたが、期間を限り運行を再開している。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より

Posted on 2018/11/25 Sun. 09:39 [edit]

category: 下関の歴史論文

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旧要塞地の一般開放2 

旧要塞地の一般開放2

昭和25年頃より、関門海峡の国立公園編入運動が起こり、同30年8月には、火の山公園の設置を市議会で議決した。
翌31年5月1日に、長府沖の満珠・干珠両島と火の山を含めての関門海峡が瀬戸内海国立公園に編入されると、これを機に火の山の公園化が具体化した。
市民運動も盛り上がり、同31年7月25日に、火の山の山開きが行われ、大勢の市民が参加、山頂からの眺望を満喫した。

昭和33年は、関門国道トンネルの開通、下関大博覧会の開催など大きな事業が次々に行われ、それをしめくくるかたちとなったのが、3月30日火の山ロープウェイの開設だった。
下駅から山頂駅までの2分40秒の空中散歩は、見渡す海峡の眺望の素晴らしさによって多くの観光客を集め、本格的な火の山公園の幕開けとなった。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より

Posted on 2018/11/24 Sat. 14:58 [edit]

category: 下関の歴史論文

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