11 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島の年表8 

彦島の年表8

嘉永二年 1849年

七月に吉田松陰が藩命により引島の台場を巡察する。


嘉永六年 1853年

竹の子島、蓋井島に砲台を築造する。


安政元年 1854年

引島の砲台で試射を行う。


安政二年 1855年

引島で農民130人の教練を行う。


安政三年 1856年

六連島の妙好人お軽同行、死去。


文久三年 1863年

山床・六連島・蓋井島などにある唐船打ち払い用の古塁を廃し、新たに要害を選んで新鋭の大砲を備える。


元治元年 1864年

三条実美ら五卿、福浦、弟子待などの台場を巡察。

四カ国連合艦隊、彦島の山床、弟子待の砲台を攻撃し、砲を略奪する。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より

Posted on 2019/03/19 Tue. 11:00 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

19

彦島の年表7 

彦島の年表7

享保二年 1717年

異国船六連島に来泊。
長府・小倉・福岡各藩協力して追い払う。


享保三年 1718年

引島・六連島など六ヶ所に砲台を築く。


享保六年 1721年

長府藩家臣細川志津満ら数十名検地のため来島。
長江浦を名合浦、江合の浦を江の浦、小福浦を福浦、山の尾を山郷、伊佐木の浦を伊佐浦、麻植山を老の山とそれぞれ改称する。


明和四年 1767年

幡生八幡の分霊を勧請し、六連島八幡宮を創建する。


享和元年 1801年

六連島の「お軽」誕生。
のち浄土真宗の「妙好人伝」にお軽同行としてあがめられる。


文政三年 1820年

竹の子島に金刀比羅神社を讃岐から勧請する。


文政十三年 1830年

福浦甲山に忌宮末社金刀比羅神社を勧請する。
福浦金刀比羅神社境内に小田南核、富観台之記碑を建立。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より

Posted on 2019/03/18 Mon. 11:14 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

18

彦島の年表6 

彦島の年表6

寛永六年 1629年

六連島に肥やし網(イワシの地引)漁法起こる。


寛永十五年 1638年

西国より海賊が横行し略奪。彦島の人々が本土下関へ移住する。


寛文二年 1662年

専立寺本堂建立される。


元禄二年 1689年

勝安寺が引島から豊前田に移る。


元禄四年 1691年

藩主、中国九州地区など碁打ち二十四人を招き、引島小戸で碁会を催す。
これが六夕囲碁の始まりである。


享保元年 1716年

六連島に寧波船漂着。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より

Posted on 2019/03/17 Sun. 11:00 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

17

彦島の年表5 

彦島の年表5

天正九年 1581年

六連島に西教寺建立される。


文禄元年 1592年

豊臣秀吉御座船日本丸、関門海峡の瀬で遭難。
彦島より小舟十二隻をもって援助。
秀吉報奨として金十貫を下賜する。


慶長元年 1596年

豊前国小倉城主、細川忠興家老有吉主膳ら二十名、検地のため来島。


慶長七年 1603年

毛利秀元長府入府。
毛利勘解由ほか九名来島。


慶長十七年 1612

宮本武蔵、佐々木小次郎、舟島において試合。
小次郎敗れる。


元和六年 1620年

長府藩主毛利秀元、小倉藩主細川忠利と議して長府領の文字ケ関と小倉領の彦島とを交換し、彦島の名を引島と改める。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より

Posted on 2019/03/16 Sat. 12:59 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

16

彦島の年表4 

彦島の年表4

弘安9年 1286年

第四代河野通久を総領と定め、分家権之進、久之進、幸之進、通之進の四家をもって永代、東西南北の核組に分かち、その畔頭と定める。


正和二年 1313年

彦島八幡宮を宮の原に建立、光格殿より御神体を移す。
彦島八幡宮サイ上がり神事の始まり。


元中八年 1391年

田の首八幡宮創建される。


天文十二年 1543年

河野光右衛門庄屋を仰せつけられる。


天文十七年 1548年

海賊が来襲し、島民伊崎などに移転するもの多し。


天文二十一年 1552年

大内義長、劍二腰を彦島八幡宮に寄進。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より 

Posted on 2019/03/15 Fri. 10:07 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

15

彦島の年表3 

彦島の年表3

文治二年 1186年

植田治部之進、岡野将監、百合野民部らが平家の守り本尊阿弥陀・観音・薬師三尊像を奉じて入島する。


建久二年 1191年

植田・岡野・百合野が持ち来る三尊像を里の近くに祀り、観音堂と号する。


建保二年 1214年

和田義信入島。


建保三年 1215年

平重衛の郎党富田刑部之輔、登根金吾が入島する。


健治二年 1276年

京都知恩寺学僧、平重衛子孫西楽法師来島、後山に西楽庵を建て島の本寺とする。
これより宗旨を天台宗より浄土宗に改宗する。


弘安元年 1278年

貴布祢神社(中の宮)が老の脇ノ谷に建立される。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より

Posted on 2019/03/14 Thu. 14:17 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

14

彦島の年表2 

彦島の年表2

養老四年 720年

日本書紀が成立。
仲哀天皇の条に「筑紫の伊都県主の祖五十迹手、穴戸の引島で奉迎する」とあり。
引島(彦島)没利島(六連島)の地が初めて現れる。


天長七年 830年

長門国引島を勅旨島とする。
現在の弟子待に勅旨田を置く。


保元二年 1157年

保元の乱に敗れた伊予勝山の城主河野道国の嫡子通次、園田一学、二見左京、小山甚六、片山藤蔵、柴崎甚平ら彦島に落ちてくる。


平治元年 1159年

河野通次、光格殿(のちの彦島八幡宮)を創建する。


寿永元年 1182年

安楽寺(慶安二年専立寺と改称)が創建される。


寿永三年 1184年

新中納言平知盛が引島に築城、本営とする。
能登守教経十七騎を率いて入島する。


寿永四年 1185年

平宗盛、敗走し彦島本営に合流する。


源氏平氏の両軍、壇之浦に戦い平氏敗滅する。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より

Posted on 2019/03/13 Wed. 14:13 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

13

彦島の年表1 

彦島の年表1

縄文時代 BC5000年

宮の原遺跡
彦島八幡宮境内の砂丘にあり、縄文前期と縄文中期の上下二層の遺物堆積層が認められる。


縄文時代 BC2500年

六連島遺跡
溶岩台地からなる南西端の海浜にあり、縄文時代の後期から弥生時代・古墳時代にかけての遺構が発見された。
遺物はたくさんの土器のほか犬の歯で作った垂飾、鹿の角の道具、釣り針など珍しい骨器が出土している。
弥生時代の遺構には、円形や隅丸方形の浅い竪穴と薄い割石を敷き詰めた住居跡があり前期末や中期の土器が出土した。


仲哀八年 199年

筑紫の伊都県主の祖五十迹手、仲哀天皇を引島に奉迎する。(日本書記)


古墳時代 200年

六連島遺跡
古墳時代の後期から律令時代にかけて、内壁に布目のある日用とみられる粗製土器が出土し、六連式土器と命名された。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より



Posted on 2019/03/12 Tue. 11:01 [edit]

category: 彦島の年表

TB: --    CM: 0

12