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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

豊関ことばについて 4 

豊関ことばについて 4

それは、下関と門司との間を流れるものが、川でなく、海であることを強く感じさせる。
もしもこの海峡が川であったなら、川岸をどこまでも上流へ向かって進み、水源へ達すれば、そこは一つの地続きになる筈だ。
だが、海はどこまでも二つのものを切り離して一つにはしない。
そこに、川と海との違いがあり、住む人々の心を無意識のうちに大きく引き離してしまうものがあるのかもしれない。

また、下関という土地は早くからひらけ、藩制時代には北前船の寄港地であった。
大阪の堺港や長崎と共に栄華を誇った港町だから都会的な雰囲気や植民地的な要素もあって、土着語の上に、共通語が定着していったと考えられないことも無い。

全国共通語… それが下関では早くから使われていたのだ。
だから、抑揚の少ない平板な言葉が下関の特徴となったのであろう。
例えば、北海道や、終戦前の台湾や満州で共通語が使われていたように。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より

Posted on 2018/12/29 Sat. 09:49 [edit]

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豊関ことばについて 3 

豊関ことばについて 3

さて、これらの山口弁にくらべて、下関周辺の言葉には、特徴のある訛りはほとんど見当たらない。
すなわち「アリマス」も無ければ「ノンタ」も無い。

むしろ、アクセントの少ない、平板な言葉、それが下関周辺の方言の特徴と言えば言えそうである。

だから、下関駅や市内の観光地などに「フク笛」の歓迎塔を建てて「オイデマセ」と平仮名で大書している関係者に対して不満の声を漏らす市民は多い。

また下関の旧称「馬関」や宇部、萩なども、平たくバカン、ウべ、ハギと呼ぶべきだが、放送関係のアナウンサーは必ず「馬関」のバ、宇部のウ、萩のハにアクセントを付ける。
これなどは、明らかに地元を無視した呼び方で、不快この上ない。

抑揚の少ない下関とその周辺の言葉は、山口県内でも特異な地域であるが、それは何故だろうか。

関門海峡という僅か一キロ足らずの潮の流れを隔てた門司の町は九州の一角だから、当然、九州弁の町である。

しかし、下関という土地は、目と鼻の先で聞かれる九州言葉でさえも、その侵入を許していない。
とちらかと言えば下関コトバは、本州に共通するものであって、九州弁らしい匂いさえ受け入れないのである。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より

Posted on 2018/12/28 Fri. 10:13 [edit]

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豊関ことばについて 2 

豊関ことばについて 2

私は、方言を使って都会人に笑われるたびに、「この言葉の意味は何だろう。語源はどこから来ているのだろうか」と考えるようになった。
そして、時には図書館で方言や語源学の書をひもとき、時には国文や国漢の教授に教えを乞うたものである。

だから「コップがメゲタ」と言って笑われたりすると、「冗談じゃない。メゲルというのは砕けるとか割れるとかの意味で、一般にも、逆境にメゲズ頑張る。という言葉もあろうが」と言い返せるようになった。

そのころ、私は教えを乞うた何人もの先生に、「山口県は、方言はあっても、訛りは少ないですね」と言われたものである。

それは、同じ山口県でも、下関周辺の言葉を指しているのではあるまいか。

小野田、厚狭、美祢地区から東へ行けば、山口、防府、萩を中心に、山口県下の大半は「ええですィノンタ」とか、「オイデマセ」、「…デアリマス」「…デゴザイマス」など、なんとなく雅やかなアクセントが付けられることになる。

もっとも「アリマス」「ゴザイマス」は、言葉として聞かずに、文章に表現すれば立派な標準語で、これほど美しい言葉は他の地に見当たらない。

余談になるが、「アリマス」「チョル」「チョラン」なとせのいわゆる長州言葉は、かつての軍隊における標準語であった。
それは、我が国の帝国陸軍が長州閥によって作られたことに起因するという暗さがあるが、これも一つの歴史の所産で如何ともしがたい。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より

Posted on 2018/12/27 Thu. 12:53 [edit]

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豊関ことばについて 1 

豊関ことばについて 1

その一 下関弁と私

二十数年前、学生時代を東京で過ごして、方言では何度も恥ずかしい思いをした。
お国コトバを使っても何も恥じることはないのだが、殊更に興味深い眼を差し向ける東京の人々の中にあっては、やはり、それを使うことに、ためらいがあった。

私だけでなく、地方から都会へ出てきた多くの若者たちは、たびたび寄り集まっては、その出身地の言葉を思い切り使って、孤独な都会生活の寂しさから逃れようとしていた。
お国コトバには、ふるさとへのつのる思いと、一種のやすらぎがある。

その方言が急速にすたれはじめたのは、戦後のことで、それも、テレビなどによるマスコミの影響が大きい。

もともと、我が国の「標準語」と呼ばれる言葉は、東京の山ノ手地方の方言を基底にしたものだと言われている。
つまり、東京弁と呼ばれる一つの方言にすぎない訳だ。
それを全国に普及し、標準語としたのは中央集権制度で、したがって、「くちい(苦しくなるほどお腹が一杯だ、という意)」などという言葉のように、広く普及しなかったものもある。
しかし全国的に使われない言葉であっても、それが東京コトバであるという単純な理由だけで辞書に収録されている場合が多い。
その逆に、広く知られていても、地方の匂いのする言葉は辞書に見当たらないという例も多い。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より

Posted on 2018/12/26 Wed. 09:32 [edit]

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あとがき 4 

あとがき 4

方言蒐集にあたっては長年にわたり多くの古老のご協力を得たが、狗留孫山の藤光一男氏、菊川町の岩本博子、藤野朝香両氏、下関の藤野ヤサノ氏にも教えられた。
また、出版元を通じて長府の村田幸一氏にもいろいろとお世話になったことを記して、ともに感謝の意としたい。

表紙の絵と装幀は、小著「下駄ばきぶらたん」に斬新な絵筆をとって好評だったモダンアート協会の岸勤氏が、今回も快く、市の花「はまゆう」をあしらって盛り立ててくださった。
前著と同じように、この本も、中身より装幀の素晴らしさが褒められることになりそうだが、それもまた私にとって嬉しい限りである。

こうして、多くの人々のお力添えを得ながら、この「下関の方言」は生まれたが、前述の通り。忌憚のないご意見とご教導は敬虔な気持ちで鶴首したい。

末筆になってしまったが、赤間関書房の十周年記念出版に採り上げてくださった藤野幸平氏に深甚の謝意を表し、同書房のますますのご発展と、書房主ご夫妻のご健康をお祈りしたい。

時あたかも、下関市制八十八周年、米寿を祝う気持ちも切である。

昭和52年2月21日しるす  著者


著者 冨田 義弘
 昭和9年下関市彦島本村生まれ
 東京経済大学卒
 著書「彦島の民話」「彦島あれこれ」
   「下駄ばきぶらたん」
   「本村小学校百年史」(共著)

装丁 岸  勤
 昭和12年防府市生まれ
 山口大学卒
 モダンアート協会会員


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より

Posted on 2018/12/25 Tue. 10:11 [edit]

category: 下関弁辞典

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