彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
彦島の氏神【彦島八幡宮】
彦島の氏神【彦島八幡宮】
屋根の銅板が美しい緑色をみせている「彦島八幡宮」は、彦島の氏神として、多くの人々に親しまれています。
平治元年十月、河野通次が自ら祭りの主となって宇佐神宮より、分霊を勧請したものと伝えられ、別の名を「灘八幡」「子安八幡宮」ともいわれ、航海安全、安産の神様として、広く知られています。
秋の大祭には、八百年前から伝えられている「サイ上り神事」が行われます。
「サイ上り」とは「サァ上がらせ給え」と云う言葉が変化したものといわれ、市の無形文化財に指定されています。
この神事は、彦島開拓の十二苗祖の一人である河野通次が、舞子島の海中から、御神体を引き上げた故事に始まると伝えられ、今もなお十二苗の子孫の人達が、武具甲冑を身に付け、祭りに参列します。
この日だけは、日頃通れない、三井東圧の構内を通り抜け、海岸に出ると、そこには古い鳥居があります。
境内には、縄文時代の始めごろの遺跡である「宮ノ原遺跡」があり、この地の古さを物語っています。
また、仲哀天皇が弓を立てられたという松の碑があり、ここにも仲哀伝説がありました。
八幡宮の近くには、海水浴場があり、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。
下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
屋根の銅板が美しい緑色をみせている「彦島八幡宮」は、彦島の氏神として、多くの人々に親しまれています。
平治元年十月、河野通次が自ら祭りの主となって宇佐神宮より、分霊を勧請したものと伝えられ、別の名を「灘八幡」「子安八幡宮」ともいわれ、航海安全、安産の神様として、広く知られています。
秋の大祭には、八百年前から伝えられている「サイ上り神事」が行われます。
「サイ上り」とは「サァ上がらせ給え」と云う言葉が変化したものといわれ、市の無形文化財に指定されています。
この神事は、彦島開拓の十二苗祖の一人である河野通次が、舞子島の海中から、御神体を引き上げた故事に始まると伝えられ、今もなお十二苗の子孫の人達が、武具甲冑を身に付け、祭りに参列します。
この日だけは、日頃通れない、三井東圧の構内を通り抜け、海岸に出ると、そこには古い鳥居があります。
境内には、縄文時代の始めごろの遺跡である「宮ノ原遺跡」があり、この地の古さを物語っています。
また、仲哀天皇が弓を立てられたという松の碑があり、ここにも仲哀伝説がありました。
八幡宮の近くには、海水浴場があり、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。
下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/19 Tue. 10:34 [edit]
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