彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
最古級の六連島灯台
海峡の安全を守る
最古級の六連島灯台
六連島灯台は、お雇い外国人灯台技師R.H.ブラントンが、明治元年、日本に着任して間もなく、関門海峡の西に六連島灯台の必要を進言し、明治3年10月29日に起工、翌4年11月28日に完成しています。
六連島灯台の点灯は、明治4年8月の伊王島灯台、11月の佐多岬灯台に次ぎ、西日本では三番目のことです。
明治5年6月12日、19歳の明治天皇が、西郷隆盛の先導で行幸しています。
わざわざ六連島灯台へ行幸、というのは、当時、最先端の灯台であったことを物語っています。
灯台近くには、行幸記念の碑も建っています。
このとき、明治天皇の宿泊所となったのが、春帆楼下にあった伊藤家で、お世話したのが白石正一郎でした。
西郷隆盛は、安政4年11月12日、白石正一郎邸を訪れており、すでに顔見知りであったことからと思われます。
関門海峡の東には、部崎灯台が明治5年1月22日に点灯しています。
いずれも、国内最古級で、関東地方の灯台が関東大震災で破壊したことから、原型をとどめる洋式灯台として貴重な存在で、それぞれ下関市、北九州市の指定文化財となっています。
灯台は、15秒に一回、あるいは10秒に一回などの閃光の間隔がそれぞれ違っています。
船舶はその閃光間隔によって、どの場所の灯台かを確認できるようになっています。
関門海峡から北に約50キロ、角島灯台は全国でも有数の大型灯台で、その姿も美しく、明治9年3月1日に初点灯し、現在も、当時設置された巨大なレンズがつけられています。
これらの灯台や浮標・信号所などは、下関市彦島塩浜町二丁目の第七管区海上保安本部の関門航路標識事務所・関門浮標基地が管理し、敷地内には灯台の貴重な資料を保管する灯台資料館があります。
安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
最古級の六連島灯台
六連島灯台は、お雇い外国人灯台技師R.H.ブラントンが、明治元年、日本に着任して間もなく、関門海峡の西に六連島灯台の必要を進言し、明治3年10月29日に起工、翌4年11月28日に完成しています。
六連島灯台の点灯は、明治4年8月の伊王島灯台、11月の佐多岬灯台に次ぎ、西日本では三番目のことです。
明治5年6月12日、19歳の明治天皇が、西郷隆盛の先導で行幸しています。
わざわざ六連島灯台へ行幸、というのは、当時、最先端の灯台であったことを物語っています。
灯台近くには、行幸記念の碑も建っています。
このとき、明治天皇の宿泊所となったのが、春帆楼下にあった伊藤家で、お世話したのが白石正一郎でした。
西郷隆盛は、安政4年11月12日、白石正一郎邸を訪れており、すでに顔見知りであったことからと思われます。
関門海峡の東には、部崎灯台が明治5年1月22日に点灯しています。
いずれも、国内最古級で、関東地方の灯台が関東大震災で破壊したことから、原型をとどめる洋式灯台として貴重な存在で、それぞれ下関市、北九州市の指定文化財となっています。
灯台は、15秒に一回、あるいは10秒に一回などの閃光の間隔がそれぞれ違っています。
船舶はその閃光間隔によって、どの場所の灯台かを確認できるようになっています。
関門海峡から北に約50キロ、角島灯台は全国でも有数の大型灯台で、その姿も美しく、明治9年3月1日に初点灯し、現在も、当時設置された巨大なレンズがつけられています。
これらの灯台や浮標・信号所などは、下関市彦島塩浜町二丁目の第七管区海上保安本部の関門航路標識事務所・関門浮標基地が管理し、敷地内には灯台の貴重な資料を保管する灯台資料館があります。
安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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