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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

日照りの田畑 

日照りの田畑


 むかし、明治のころ、日田(ひた)のあたりは日照りの年が2年も続いたため、お百しょうさんたちが各地でさわぎを起こしていました。特に、川もため池も元々ない村では、米も野菜もまったくとれず、うえ死にするのを待つばかりというありさまでした。ひからびた田んぼではイネの葉がしおれ、まっ白になった畑では風がふくと砂すなぼこりがまい上がります。
 この景色を見た平四郎(へいしろう)は、なんとかしなければと毎日毎日考えましたが、いい考えは何もうかびません。雲のない青空に、赤々とかがやく太陽。それが西の空にしずむまでため息をもらし続けて、むなしい気持ちでばんご飯の家路へとつく日々でした。

 「当分雨はふりそうもない。食べるお米を今の半分にしないと、もうだめかもしれない。」 平四郎はおくさんにそう言うと、またため息をもらしました。
 「でもこのままでは、村全部がうえ死にしてしまう。何とかせねばならん。そうだ、寺のおしょうから聞いたことがあるが、はるかむかし、たった一人で水路をほりぬいたおしょうさんがいたらしい。向こうも人なら、わたしも人だ。人生50年と言うが、わたしも働きざかりの43才。かくごを決めればできないことはあるまい。」
 平四郎は、人のため、村のためだとその決意をおくさんに話し、おくさんは平四郎をはげましてくれました。しかし、平四郎には気がかりなことがひとつありました。それは水路をほるのに必要なお金のことでした。でも、生活を出来るだけしんぼうすればなんとかなるだろう。今は一日も早く、水路をほり始めることが大切だと考えました。

 工事は平四郎のそうぞう以上に大変なものでした。村人たちは、日照りのせいで平四郎の頭がおかしくなったのではないかと遠まきに見ているだけでした。それでも平四郎は、くわとつるはしを持って毎日ほり続け、おくさんはおべんとうを持って平四郎の仕事場に通いました。
 やがて水路がほり進められるにつれて、村人たちの中には自分にも手伝えそうな気がする人々が出始め、「平四郎さん一人に苦労をかけてはすまない」と、くわをかた手に集まるようになりました。
 平四郎は、その間、お金になるものはほとんど売りつくしていました。しかし、とうとう水路がわき水のもとまでたどりつきました。村人の一人が最後のひとほりをして、こんこんと水が水路に注がれると、大さわぎをする者、手を合わせておいのりをする者、人々はさまざまな想いで完成を喜びました。そして平四郎ふうふは長い間の苦労がむくわれて、たくさんの村人たちからだきつかれて喜ばれました。そして人々の「ばんざ〜い、ばんざ〜い」とさけぶ声は、となりのそのまたとなりの村まで、いつまでも流れていきました。
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Posted on 2013/08/04 Sun. 22:44 [edit]

category: 日本の民話

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