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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

老ノ山公園 

老ノ山公園


「関のドンガラガンは、どこから流行る  大里、赤坂、老ノ山…」

明治二十年代の関門北九州で、このような唄がはやった。
明治新政府による沿岸防備の槌音である。

彦島老ノ山砲台は、火ノ山砲台と並ぶ下関重砲連隊の要塞で、海峡を睥睨していた。
第二次世界大戦では、本土空襲の際に大いに活躍し、B29やロッキードを響灘に撃墜させたこともある。

その老ノ山砲台は、戦後、一般市民に開放されて農園化したが、それもほんの数年で、その後、市の手によって逐次整備され、今では立派な老ノ山公園に生まれ変わっている。
もともと要塞であった老ノ山は、当然のことながら国有地。その23万平方メートルを下関市がそっくり無償で借り受け、旧兵舎、壕舎、高射砲基地などがあった頂上付近約5万平方メートルを公園化したものである。

しかし、いま老ノ山公園に登ってみると、かつての砲台の面影はどこにも見られない。
山頂直下に整然と横穴の口を開けていた火薬庫や壕舎もフタをされて、高射砲が座っていた窪地もセメントやタイルで固められれ、ベンチが置かれている。


「こうまで立派に整備されてしまうと、公園とは一体何だろうか、と思ってしまう。もう少し自然を壊さないで、地形の特徴などを活かしたユニークな公園づくりは出来ないものだろうか」
二、三年前のある機関紙に「老ノ山にて」という随想が載っていて、老ノ山公園の変身ぶりを嘆いていた。
明治時代から関門の要塞として同じ道を歩き、戦後公園化された火ノ山は、要塞址を随所に残しているが、老ノ山にはそれが無い、とその女性は悲しげに筆を進めて、次のように続けている。
「せめて高射砲の円いレールと、火薬庫入口の赤煉瓦だけでも、往時のままに残していて欲しかった。平和平和で、何もかも埋め立てて花ばかり植えてしまう愚かさが悲しい。
戦争の悲惨さは、再びあってはならなすとして語り聞かせるのが大人の責任だと思うけれど、戦時中の体験談を伝説的な、こっけいな事柄のようにすら聞く子供たちに、あの厚い赤煉瓦の色は何かを感じさせるた゜ろうか。
千の言葉にも換えがたい事実の厳しさを語りかけてくれたのではないだろうか」

下関の大きな公園のほとんどは、老ノ山と同じ旧陸軍の高射砲陣地に造られている。
関門海峡をかかえた立地条件の良さは、幕末時代の台場から、日清、日露、今次大戦と、その眺望の一等地がすべて要塞のヴェールに包まれていた。
火ノ山、千畳ヶ原、一里山、金比羅山と同じように、老ノ山もそのヴェールの部分を少しでも残して欲しかったと、残念に思う。


冨田義弘著「彦島あれこれ」より抜粋
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Posted on 2017/06/19 Mon. 12:23 [edit]

category: 彦島あれこれ

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