08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の地名17 福浦 

金比羅狐


 むかし、下関の港は、北前船西廻り航路の寄港地として栄えていました。
 それは、奥羽、北陸地方から米や、にしん、こんぶなど数多くの塩干魚などをなどを積んだ船が、日本海を西下し、瀬戸内海を東上して大阪に向かう際に、この港が最も重要な役割を果たしていたからです。そのころの下関は兵庫の港と共に西国一を競う程の繁昌ぶりだったと言われています。

 一般には、下関の港、と表現されていますが、その中には、彦島の南風泊りと福浦の両港も当然含まれていました。
 南風泊港は、文字通り南の風を避ける為の港で、福浦港は、今の江浦小学校から姫の水あたりまでが海という大きな入江となっていましたので、風待ちには天然の良港でした。


 福浦港の入口には、地元の人びとが、
『ふくらの金比羅さんの石段は、日本一の急坂じゃ。こねえに急な石段はどこにもありゃあせん』
 と自慢する金比羅神社があります。

 その石段の数は、むかしから二百七十七段、二百七十九段、二百八十一段と、登る人によって違っていました。それは、金比羅狐のいたずらによるものだと言われています。

 ある日、その話を聞いた肥前屋の客が、
『ワシが、石段の数を確かめてやろう』
 と出かけて行きました。船宿の人びとはそのあとに続き、石段の下で様子をみることにしました。
『ひとつ、ふたつ、みっつ……』
 肥前屋の客は、大声に数えながら登って行きました。うっそうとした森に囲まれて、金比羅さんの石段は三分の二から上は殆ど見えません。その見えないあたりに男が登って行って、かなり経ちました。

『おーい、やったぞーッ。二百七十九段が本当じゃ』
 森の中から男の喜び勇んだ声が降りて来ました。人びとは、顔を見合わせて笑いました。しばらくすると、ずっと上の方に男の姿が見えはじめ。何やらつぶやき乍ら下って来ました。
『二百三十六、二百三十七、二百三十八』
 男は下り坂でも、また石段の数を数えていたのです。

『二百七十九、二百八十、二百八十一、あれっ、さっきより二段多いぞ。おかしいな』
 参道の石鳥居まで下って来て、男は眼をまるくしました。
『八合目で狐に会うたじゃろうが』
 見物の中から一人の男が訊ねました。
『うんにゃ、会わん』
『狐の声を聞いたろうが』
『いんにゃ、聞かん。鳥は鳴いたがのう』
『なんちゅうて鳴いたい』
『ぎゃおーっ、小さかったけど、そんな声じゃった』
 人びとはまた顔を合わせて笑いました。

『クソッ、もう一回登って来る』
 男は、再び、一つ、二つと数えながら石段を登って行きましたが、何度数えても上りは二百七十九段、下りは二百八十一段でした。その日だけで、この急坂を十往復もした男は、船宿に戻って、とうとう寝込んでしまいました。

 また、ある日のこと、薩摩屋に泊まっていた客が、金比羅さんの石段を数えながら十往復しましたが、この時は上りが二百八十一段で、下りは二百七十七段しかありませんでした。
 その後も、船木屋の客、淡路屋の客などが噂を聞いてこの石段を上り下りしましたが、誰も同じ数を言い当てた人は居ません。

 福浦の人びとは、いつも笑って見守るだけでした。

 それは、誰もが一度は経験していることで、金比羅狐が居る限り、この石段の数は皆目わからない、と諦めているからでした。
 たった一人で登って行っても、あるいは、多数の人びとであっても、八合目にある脇道まで来ると、必ず何かが起こって数を間違えてしまうのです。
 それは、さっと眼の前を走る狐の影であったり、ゴソッと藪に物音がしたり、ギャォーと雌狐が鳴いたりして、気を散らしてしまうのでした。

 だから、船宿の客が石段の数を確認するという噂が流れると、福浦の人びとはみんな集まって冷ややかに笑い乍ら見守るだけでした。
 そして口々に、こう言ったと伝えられています。

『よそ者の狐ごかしが始まった』


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より


(注)
福浦を、古老たちは今でも『ふくら』と呼んでいる。
金比羅山の八合目には、森の中に小道が走っていて、山に鉢巻きをしたように、グルッと一巻きしている。
言い伝えによれば、金比羅狐はこの脇道あたりに出没したそうで、かなり年代を経た古狐ではあるが、その体は小猫くらいしかなかったという。
『よそ者の狐ごかし』というのは『地元の者でさえ判らないのに、よそ者に確かめられてたまるものか。それを小馬鹿にしたからバチが当たって騙されたんだ』という嘲笑だろうと、ある古老は話していた。
余談ではあるが、嘗て私は、冬山シーズンが近づくと、山仲間を集めて、この石段でトレーニングに励んだものであった。本書の版画を担当してくれた勝山光治氏にも同じ思い出がある筈。
しかし、私は、この石段を数えながら登ったことはない。

関連記事

Posted on 2017/08/20 Sun. 15:17 [edit]

category: 下関の地名

TB: --    CM: 0

20

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form