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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の地名15 彦島(ひこしま)4 

彦島(ひこしま)4


“彦島”という表記になったいきさつについては、幕末の攘夷戦のとき、彦島にも砲台が構築されましたが、“引く”は、戦にとって縁起がよくないというところから“彦島”というようになった…、という説があります。

「彦島の伝説」の著者富田義弘氏は、その中で、彦島の名称について、
「藩政時代の彦島は、行政上二つに分かれていたふしがある。つまり、その一つは“彦島”であり、他は“田ノ首島”である。
その境界は福浦湾で、安舎山から段地堤、山中から金の弦岬に至る一線であったようだ。そして田ノ首は豊前藩に属していた時代があり、その当時、田ノ首島を彦島と呼んでいたと思われる。
つまり、毛利藩からの呼称“引島”と、九州側から見た“彦島”の使い分けが、長い年月の間に混同されてしまったのかもしれないのである」
と記述しています。

ところで伝説によれば、
「太古、本土側の伊崎と彦島は陸続きであったが、速い潮の流れによって穴が開いてしまって、ついには二つに離れてしまったけれども、伊崎の岬がまるで彦島を引っ張り付けているように見えるので、引島と呼ぶようになった…」
と、地形から地名が発生したとしています。


「下関の地名」下関市教育委員会刊行より
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Posted on 2017/08/18 Fri. 11:00 [edit]

category: 下関の地名

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コメント

 

ブログに書かれてあった頃の田ノ首には自家用の小舟を持っていた家が多かったらしく、関門海峡も今のように船の往来が頻繁ではなかったので「ちょいと向こう岸まで」という感覚で、直接関係する役場のある小倉に渡って、買い物を含めたいろいろな用事を済ませていたようです。直接見えない役場(長州藩の)の方向に向かうのではなく、目に見える役場(小倉城)の方向に向かうのですから、なかなか合理的だったと思います。渡るときの潮の流れの感覚も「今が潮時」などと海面を見てわかっていたのでしょう。いつかおふくろさんから聞いた話です。

URL | 小田 克己 #- | 2013/03/24 18:26 | edit

小田 克己さん 

なるほど…。
本州でも九州でもなく、彦島は彦島。
という意識が強かったのかもしれませんね。

URL | 事務局 三木 #- | 2013/03/25 14:28 | edit

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