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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

サイ上り 

サイ上り


保元二年、今から約八百年のむかし、伊予の国勝山城主、河野通次が戦に負け、追っ手を避けながら、ようやくのことで彦島へ落ちのびてきました。

河野通次と五人の家来は、この彦島で力を蓄え、もう一度、勝山城を取り戻そうと、しばらくの間、慣れない農業や漁をして、兵をあげる日を待っていましたが、頼みとする家来たち二人は病気で亡くなり、一人は伊予の国の様子を調べに行って帰ってこず、とうとう望みを捨て、彦島に永住する決心を固めました。

それから二年たった平治元年十月十五日、里から西南にあたる海上に、ふしぎな紫色の雲がたなびき、その下あたりの海中が黄金色に輝いているのを、島のイナ釣りの男が発見しました。
男はさっそく、そのとき島の長になっていた河野通次に知らせると同時に島民にも知らせました。
島の人たちは、浜辺に集まり、
「ひょっとすると不吉なきざしかもしれない」
「いや、きっとあそこに黄金が沈んでいるんだ」
とか、わいわいいって騒ぎ立てました。

結局、最初に見つけた男に調べさせようということになり、その男は、こわごわ舟を出して黄金色に輝く場所に行き、矛を持って海中を突き刺したところ、神体と思われる像の左眼に突き当て、海中から引きあげてきました。

心配そうに様子をみていた河野通次は、その像を見て、これこそ我が守り本尊であるとして、近くの小島にお堂をつくって、像をまつり、これを光格殿と名づけました。

このとき、通次は鎧兜を着て、左右に太刀と弓を持ち、武運長久を祈るとともに、舞をまい、
「さあ揚がらせられた」
と、大声で叫んだことから、この小島を舞小島というようになりました。

また、おもしろいことに、氏神様の左眼を矛で突かれたことから、彦島の人はむかしから左眼が細いという言伝えがあります。

ご神体は、その後、正和三年に、今の宮の原に移して、永く彦島の氏神様として親しまれてきました。
そして毎年十月十五日には、「サイ上り」の神事が行われますが、その様子は、まず最初に、裃をつけた子ども三人が飛び回ります。
すると鎧兜をつけ、太刀を腰に、手に弓をもった者が、子どもを矛で突くまねを幾度も繰り返します。
そして「サイ上り」を叫びます。
子どもの飛び回るのは、イナが飛ぶまねで、弓で突くのは、ご神体を海底から突き上げたときの意味。
「サイ上り」とは、通次が「さあ揚がらせた」と喜んで叫んだ古事をそのまま伝えるものといわれます。
そして、この鎧武者やイナなどになる人は、昔から、彦島十二苗祖の家から参加することになっています。


(注)
彦島十二苗祖とは、河野通次の河野姓ほか、平家の落ち武者が住み着いたといわれる、園田、二見、小川、片山、柴崎、植田、岡野、百合野、和田、登根、富田姓で、彦島開拓の祖先といえましょう。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2017/05/07 Sun. 09:26 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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