07 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

竜王が喜んだ 

竜王が喜んだ


江戸時代のはじめのころのお話です。

そのころは、徳川家が全国を支配しており、その下に毛利藩とか水戸藩とかがあって地方を治めていました。
そして各藩の力の大きさは、お米のとれる量、つまり石高であらわしていました。そのため各藩では、お米の増産を奨励したり、新しい田を造ったりする事業に一生懸命でした。

毛利藩でも、横見弥一左衛門という家臣に命じて、宇津井一体の干拓工事をすすめることになりました。
それは寛文五年の秋からはじめられました。
近くの土地からたくさんの人がかりあつめられました。土手を築く人、杭を打つ人、モッコで土を運ぶ人、俵に土を入れて潮止めにする人など、工事は計画通りすすみ、こうして最初の年の冬をこし、そして次の冬もこして、二年たった秋のある日、工事の進み具合を見回りにきた横見弥一左衛門は、
「よし、もうあとひといきで干拓工事は完成するぞ、みろ、あの広々とした新しい土地を、何という素晴らしいことだ、やがてあそこに、黄金色の稲穂が波打つのじゃ」
と、感動にうちふるえながら、ついてきた家来に話しかけました。

そしてそれから数日して、この地方に激しい風と大雨をともなった嵐がおそいました。
それは、今までにない大嵐で、横見弥一左衛門は、心配で心配でたまらず、何度も供の者をつれて、干拓地を見回りに行きました。
嵐は三日三晩続きました。そして、三日目の晩、見張りのものが息せききって、横見家の家に駆け込みました。弥一左衛門もちょうどその時見回りにいくしたくをしていたときでした。
「た、たいへんだぁ、横見の殿様、とうとう堤防が崩れました」
「なに」
と、いったまま、弥一左衛門は、蓑かさもつけずに外に飛び出しました。
やがて、嵐がおさまり、夜もあけました。海鳴りが嵐で浮き上がった小魚をあさっているのでしょう…。のどかな鳥のさえずりが聞こえてきます。
しかし、弥一左衛門は、小高い丘に座り、どす黒くよごれた干拓地と無残な傷口を見せている堤防に、うつろな目を向けたまま、まるで魂の抜けた人形のように、ぼんやりとうち沈んでいるだけでした。

工事はまたやりなおしです。
しかし一度決壊した堤防は、いくら補修しても、ちょっと雨が降り続いたり、海が荒れたりすると、すぐ崩れてしまうありさまです。いままで順調にすすんでいた工事は、まるでうそのように難工事に変り、いたずらに日数がたっていくだけでした。

弥一左衛門はしだいにあせりはじめ、頬がこけてしまいました。
村人たちの間からも、人柱をたててはという、話が持ち上がりましたが、もういちど“竜神”におたのみしようと、ふたたび大掛かりな仕事を始める前に、竜神堂を建ててまつり、祈願祭をおこないました。
そして九分どおり出来上がったころ、また嵐が襲ってきました。

横見弥一左衛門は、家来に、
「この嵐に持ちこたえれば、工事は必ず成功する。しかし、今度壊れれば、もう最後だ…。今は竜神におまかせするより仕方がない」
その嵐の二日目の晩、堤防の一箇所から海水が干拓地にドッと流れ込みはじめました。
知らせを受けた弥一左衛門は、
「やはり、だめだったか…」
と、大きなためいきをつきました。

そのときです。
稲光がしたかと思うと、その光が堤防の上に広がりはじめ、白い牙をむいて押し寄せる波を押し返しはじめたのです。

人々は、
「竜神さまだ、竜神さまが堤防を守ってくださる。ありがたいことだ」
と、涙を流して感謝の言葉を申しました。

こうして、竜神さまのお守りで、堤防は助かり、寛文八年の春、りっぱに完成しました。
ところが、この年の夏、大干ばつが起こり、宇津井松屋の人たちは、竜神堂の竜神さまに、雨をお祈りしたところ、たちまち願いがききとられ、実り豊かな秋を迎えることができました。

そこで、人々はこの土地の守護神として、新しい社殿を造り白崎大明神としたところ、竜神さまがたいへんお喜びになられたといいます。
ここから、現在の地名の“王喜”が生まれてきたと伝えられています。


『下関の民話』下関教育委員会編
関連記事

Posted on 2020/07/14 Tue. 10:34 [edit]

category: 下関の民話

TB: --    CM: 0

14

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form