彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
清盛塚
清盛塚
― きよもり づか ―
寿永3年(1183)中納言 平知盛は、亡き父 平清盛の遺骸を携えて彦島に入り、平家 最後の砦 根緒城(ねごろじょう)の築城にとりかかり、砦と定めた この小高い場所に納骨して、墓碑を建立しました。
その後、平家は壇之浦の合戦に破れて滅亡し、墓碑は長年 無銘のまま放置されていましたが、昭和4年(1929) 土着の歴史に詳しい人たちの手によって、「清盛塚」と刻まれました。
隣には、同年に「地鎮神」と刻まれた碑が建っています。
これは平清盛を彦島の地鎮神とする、という意味を込めたものでしょうか。
― きよもり づか ―
寿永3年(1183)中納言 平知盛は、亡き父 平清盛の遺骸を携えて彦島に入り、平家 最後の砦 根緒城(ねごろじょう)の築城にとりかかり、砦と定めた この小高い場所に納骨して、墓碑を建立しました。
その後、平家は壇之浦の合戦に破れて滅亡し、墓碑は長年 無銘のまま放置されていましたが、昭和4年(1929) 土着の歴史に詳しい人たちの手によって、「清盛塚」と刻まれました。
隣には、同年に「地鎮神」と刻まれた碑が建っています。
これは平清盛を彦島の地鎮神とする、という意味を込めたものでしょうか。
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