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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

初寅 

初寅


毎年、年の初めの初寅にあたる日は、長府四王司山の毘沙門天まいりに前日の夜から大勢の人がおまいりします。

この毘沙門天は、貞観九年、清和天皇の仰せにより五体を作り、これを因幡、伯耆、出雲、石見、長門の五つの国へ一体ずつくばられ、外国からの襲撃を守り、国の平和を祈るために、遠く西の国を望むことのできる高い山におかれました。

長府四王司山の毘沙門天は、そのうちの一つでしたが、そののち厚東氏が、この山で戦争をはじめたとき、毘沙門天の焼失することを恐れて、王司村河内の里へ移されました。
やがて厚東氏もほろびて戦争は終わりましたが、毘沙門天は、もとのまま、山里におかれていました。


ある日のことでした。
里の久兵衛という年寄りが、息子夫婦と仲が悪く、いつもけんかばかりしているので、どうにかして、なごやかな家庭をつくりたいと、この毘沙門天に願をかけにきました。
久兵衛は、願をかけおわって社の石段に腰をかけ、緑の葉陰から射してくる日差しをあびながら、いい気持ちでいねむりをはじめました。

すると、その久兵衛の夢枕に、あのいかつい顔をした毘沙門天が現われ、
「久兵衛、お前の願いはききとどけてやろう。そのかわり、わしの願いも里人に伝えてくれ。わしが、四王司山頂から里におりてもうかなりの日数になる。せめて、毎年、正月初寅の日には、四王司山頂のふるさとへ旅させてくれよ」
と、いい終わるや、スーっと消えていきました。

久兵衛はさっそく里人を集めて、毘沙門天のおつげを伝え、そのあくる年の正月、初寅の日には、像を山頂に移し、お祭をしました。
もちろん久兵衛の願いは、ききとどけられたのか、いつまでも明るい平和な家庭を営み続けることができました。


こうしたこともあってから、毎年正月、初寅の日には、盛大なお祭が四王司山頂で行われるようになり、いつのころからか、毘沙門天は、武運長久、開運勝利、福徳円満の神さまとして、みんなの信仰をあつめ、初寅のひには、下関市内はもちろん、九州や山口県下からたくさんの人が、おまいりするようになりました。

(注)
初寅まいりは、三年続けておまいりすると大きいご利益があるといわれています。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/04/12 Fri. 11:51 [edit]

category: 下関の民話

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