彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
竜王山の神石
竜王山の神石(りゅうおうざんのかみいし)~山陽小野田市~
今からおよそ千七百年ほどむかしのことだ。
九州の日向国灘(ひゅうがのくに)で、クマソという豪族(ごうぞく)があばれまわっていた。そこで仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、紀州(和歌山県)から軍船に乗りこみ、日向国にむかった。
瀬戸内海を西へ西へと進んで、やがて、小野田の本山岬の沖合いにさしかかたときのことだ。今まで晴れていた空に黒雲がひろがりはいじめたかと思うと、風も強くふきだし、波もうねりはじめた。
軍船は、木の葉のようにもまれはじめた。
今まで見えていた遠くの山々も見失って、方角もわからなくなった。とうとう、たくさんの軍船ははなればなれになっていった。
そのありさまを見た天皇は、
「この災難(さいなん)を助けてくださるよう、海神においのりしよう。」
と、いのりはじめた。
すると、はるか沖のほうから火の玉があらわれ、ふき荒れる大空に大きな輪をえがいて、岬の方へ飛んでいった。あたりは真昼(まひる)のように明るくなり、まわりの山々も見えはじめた。そのうえ、吹きすさんでいた風、荒れくるっていた波もしずまってきた。
天皇は、
「海神がこの災難を救われたのだ。あの火の玉は、きっと海神にちがいない。ありがたいことだ。」
と、この火の玉が飛んでいく本山岬にむけて船を進めさせた。
あくる日、天皇は、自分たちを助けてくれた海神をおまつりする場所をもとめて、海岸のあちらこちらをさがしまわった。
しかし、おまつりする場所は、どこにもみつからなかった。
そこで、岬の近くの山に登ろうと、山道を登りはじめたとき、ふしぎな気のただよう大きな石がみつかった。
天皇は、この石こそ海石をまつるのにふさわしい神石にちがいないと思った。そこで、この神意思をまつるのによい場所をさがすためにmさらに山道を登っていった。
いただきに着くと、天皇は、
「ここぞ、朝日がさし、夕日がかがやき、神石をまつるにまことによいところである。このすぐれた地にやしろを建てることにしよう。」
と言って、その神石を海神のみたまとしてまつることにした。
その後、仲哀天皇の一行は無事に日向国につき、あばれまわるクマソを退治して都に帰ることができた。
それから六百年ぐらいたったある日のこと、この岬の長(おさ 今の村長)をしていた中尾宇内(なかおうない)に、つぎのようなおつげがあった。
「わたしは、むかし仲哀天皇がこの地にまつった海神である。そのときのほこらもこわれ、ながい間わすれられてきた。さっそく新しいほこらをつくり、みなが心をこめて信心すれば、この地をさかえさせ、くらしもゆたかにし、海の災難もふせぐ守り神になるであろう。また、いりいろな願いごとも、かならずみんなかなえてつかわすであろう。」
村人たちは、さっそく新しいほこらをつくり、竜王の宮と名づけて、海神としてまつった。
それから後、村人たちは、どんなに海が荒れても、ふしぎと災難にあうこともなく、しあわせにくらしたという。
竜王の宮は、今も山陽小野田市の竜王山のいただきにある。今はおまいりする人はほとんどいない。
題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部
豊徳園ホームページより
今からおよそ千七百年ほどむかしのことだ。
九州の日向国灘(ひゅうがのくに)で、クマソという豪族(ごうぞく)があばれまわっていた。そこで仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、紀州(和歌山県)から軍船に乗りこみ、日向国にむかった。
瀬戸内海を西へ西へと進んで、やがて、小野田の本山岬の沖合いにさしかかたときのことだ。今まで晴れていた空に黒雲がひろがりはいじめたかと思うと、風も強くふきだし、波もうねりはじめた。
軍船は、木の葉のようにもまれはじめた。
今まで見えていた遠くの山々も見失って、方角もわからなくなった。とうとう、たくさんの軍船ははなればなれになっていった。
そのありさまを見た天皇は、
「この災難(さいなん)を助けてくださるよう、海神においのりしよう。」
と、いのりはじめた。
すると、はるか沖のほうから火の玉があらわれ、ふき荒れる大空に大きな輪をえがいて、岬の方へ飛んでいった。あたりは真昼(まひる)のように明るくなり、まわりの山々も見えはじめた。そのうえ、吹きすさんでいた風、荒れくるっていた波もしずまってきた。
天皇は、
「海神がこの災難を救われたのだ。あの火の玉は、きっと海神にちがいない。ありがたいことだ。」
と、この火の玉が飛んでいく本山岬にむけて船を進めさせた。
あくる日、天皇は、自分たちを助けてくれた海神をおまつりする場所をもとめて、海岸のあちらこちらをさがしまわった。
しかし、おまつりする場所は、どこにもみつからなかった。
そこで、岬の近くの山に登ろうと、山道を登りはじめたとき、ふしぎな気のただよう大きな石がみつかった。
天皇は、この石こそ海石をまつるのにふさわしい神石にちがいないと思った。そこで、この神意思をまつるのによい場所をさがすためにmさらに山道を登っていった。
いただきに着くと、天皇は、
「ここぞ、朝日がさし、夕日がかがやき、神石をまつるにまことによいところである。このすぐれた地にやしろを建てることにしよう。」
と言って、その神石を海神のみたまとしてまつることにした。
その後、仲哀天皇の一行は無事に日向国につき、あばれまわるクマソを退治して都に帰ることができた。
それから六百年ぐらいたったある日のこと、この岬の長(おさ 今の村長)をしていた中尾宇内(なかおうない)に、つぎのようなおつげがあった。
「わたしは、むかし仲哀天皇がこの地にまつった海神である。そのときのほこらもこわれ、ながい間わすれられてきた。さっそく新しいほこらをつくり、みなが心をこめて信心すれば、この地をさかえさせ、くらしもゆたかにし、海の災難もふせぐ守り神になるであろう。また、いりいろな願いごとも、かならずみんなかなえてつかわすであろう。」
村人たちは、さっそく新しいほこらをつくり、竜王の宮と名づけて、海神としてまつった。
それから後、村人たちは、どんなに海が荒れても、ふしぎと災難にあうこともなく、しあわせにくらしたという。
竜王の宮は、今も山陽小野田市の竜王山のいただきにある。今はおまいりする人はほとんどいない。
題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部
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