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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

「回天」の誕生から実戦まで 

「回天」の誕生から実戦まで

誕生までの背景

拡大する植民地(18世紀以降)

18世紀の産業革命以来、産業を急速に発展させた西洋諸国は、市場や資源を求めて世界各地へ進出し、次々と植民地を広げていきました。
第一次世界大戦以降、急激な発展を遂げた日本も、市場や資源を求めて大陸進出を目指し始めました。
その結果、日本はアメリカやイギリスなどと対立するようになり、ついに太平洋戦争に突入することになります。

太平洋戦争の勃発(昭和16年12月8日)

昭和16年12月の真珠湾攻撃で幕が開けた太平洋戦争は、当初、日本軍は有利に戦闘を進めますが、17年6月のミッドウェイ海戦での敗北、18年2月のガダルカナル島からの撤退と、物資の豊富な連合国側からの反撃により徐々に形勢が不利になっていきました。
そうした状況の中で、起死回生の戦法として考えられていったのが、空や水上、水中からの特別攻撃と称した特攻作戦でした。

酸素魚雷から「回天」(昭和18年10月~)

太平洋戦争の戦況が厳しくなる中で、呉市大浦崎にあった特殊潜航艇(甲標的)の秘密基地(通称P基地)で出会った若い青年将校の手により、「回天」の創案がなされることになります。
その青年将校とは、海軍機関学校出身の黒木博司中尉と、海軍兵学校出身の仁科関夫少尉の2人。
このころ、レーダーの登場により艦艇間での戦闘が行われなくなったため、使用されずに倉庫に眠っていた九三式酸素魚雷に二人は着目し、昭和18年の秋、この魚雷を人間が操縦して敵艦船に体当たりする兵器として開発し直すことと、兵器としての採用に向けて動き出すことになります。
その結果、翌19年2月に試作機の開発が開始され、同年7月に試作機が3基完成し、大入(だいにゅう:呉市阿賀)魚雷遠距離発射場で試験運転が行われることになりました。

WEBサイト 回天記念館より
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Posted on 2018/02/09 Fri. 14:12 [edit]

category: 回天

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