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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

耳なし芳一伝説 

耳なし芳一伝説

芳一は阿弥陀寺(後出)の盲目の僧。琵琶の達人。中でも「平家物語」の弾き語りは見事で、幼い頃から師匠をしのぐ腕前があったとされています。
 ある日、芳一は深夜外出を繰り返し、不信に感じた僧たちが芳一の行先を探したところ、七盛塚(平家一門の墓のこと。後出)の前で平家物語を奏でていたところを発見されます。住職は怨霊を取り除くため、芳一の身体中に般若心経を書き綴りました。ところが芳一の両耳に経文が書かれていなかったため、怨霊がそれに気付き、その両耳をちぎって立ち去りました。以降は怨霊が現れることはなくなりましたが、いつからとなく「耳なし芳一」といわれるようになったものです。

しものせき観光ホームページより

赤間神宮は、下関を訪れる観光客のほとんどの方々が見学する、下関を代表する観光地のひとつ。源平壇之浦の合戦で平家一門が敗れ、二位尼(にいのあま)に抱かれ、御歳8歳で入水された安徳天皇が祀られています。その豪華な水天門は、入水された安徳帝を慰めるために竜宮城に見立てて建てられており、毎年5月3日には、絢爛豪華な「先帝祭上臈参拝」の行事が行われます。隣接する地には天皇陵「安徳天皇阿弥陀寺御陵」があります。

一方で赤間神宮は、貞観元年(859)大安寺の僧行教が開山した「阿弥陀寺」というお寺が前身です。
 寿永4年(1185)3月24日、源平壇之浦の合戦において入水崩御された幼帝安徳天皇のご尊体を紅石山のふもとに埋葬し、その後、建久2年(1191)閏12月14日、後鳥羽天皇が長門国に勅して御陵上に御影堂を建立し、安徳帝の菩提を弔ったとされています。
 明治維新の変革によって起こった廃仏毀釈の風潮にともない、明治3年(1870)5月、阿弥陀寺を廃して御影堂が天皇社と改称されます。明治8年に赤間宮と改称、昭和15年官幣大社となり赤間神宮となりました。
 琵琶法師「耳なし芳一」は、赤間神宮の前身、「阿弥陀寺」の僧侶だったのです。
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Posted on 2019/10/29 Tue. 09:17 [edit]

category: 下関あれこれ

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