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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

子鯨の話 

子鯨の話


 田ノ首の浜に、貧しい漁師が住んでおった。漁師には、男の子が一人あったが、生まれつき病弱で、いつも床についたままじゃった。

 ある夜のこと、昼の疲れにぐっすり寝込んだ漁師の枕辺に、何か大きな真っ黒いものが立ちふさがった。
 ふと目をさましてみると、それは大きな鯨じゃった。びっくりした漁師は、思わず声を立てた、
『何しに来た』
 すると鯨は、いかにも哀れみを乞うように、弱々しくこう言うた。
『私たち夫婦は、明日の昼ごろ、一人むすこを連れてこの海峡を通ります。しかし、むすこは病気でとても弱っていますので、どうか、むすこだけは見逃してやってください。よろしく頼みますよ』
 そう言い終えると、鯨の姿はスーッと消えてしもうた。

 夜が明けた。漁師はさっそく、浜の漁師たちを集めて、昨夜の不思議な出来事を話し、
『今から、みんなで鯨をとりに行こう』
 と、相談した。そいやけど、漁師たちは、
『そんな馬鹿げた話があるものか』
 と、相手にせんじゃった。でも、よう考えてみると、昔から、鯨一頭とれば七浦が栄える、と言われたほどの収入があるので、
『だまされたと思うて、沖へ出てみよう』
 ということになり、みんなで鯨とりの準備にとりかかった。あれこれ仰山、もりやロープを用意して、人びとは海を見つめて待った。

 やがて、昼少し過ぎたころ、小倉の沖合いに、大瀬戸に向かって来る鯨を発見した。
 一頭、そのあとにまた一頭、そしてその間にはさまって小さな鯨が一頭…。
 それはちょうど、親が子どもの手をしっかりと引いちょるように見えた。

『鯨じゃあ、鯨が来るぞ』
 待ちかねておった漁師たちは、いっせいに舟を出し、沖にむかって漕ぎはじめた。
 舟が鯨に近づくと、鯨波が津波のようなうねりをあげて押し寄せ、小舟はまるで木の葉のように揺れ動いた。
 そいでも漁師たちは、必死になって鯨に近づき、無茶苦茶にもりを投げつけた。もりは、親鯨にさえもなかなか命中せん。

 ところが、どうしたはずみか、その中の一本が、撃っちゃあいけん筈の子鯨の胴に突きささった。子鯨は、海を血に染めながら、のたうちまわった。母鯨は急いで子鯨のそばに寄り、心配そうに離れようともせんじゃった。
 一方、父鯨のほうは、激昂して暴れまわり、尾びれで次々に小舟を海に沈めはじめた。
 漁師たちはみな海に放り出され、もはや、鯨をとるどころじゃあない。命からがら岸にむかって泳ぎはじめた。
 傷を受けた子鯨が、その後どうなったかは全くわからん。

 そいやけど、貧しい漁師が痛む体を引きずって我が家へ帰ってみると、いとしい一人むすこが死んでおった。
 それはちょうど、もりが子鯨に命中した時間に、むすこが高熱を出して、もがき死んだちゅうことじゃて。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より


 
(注)
この話は『下関の伝説』や、『ながとの民話』などにも収録されている。
題名としては『くじらの話』『子くじらの話』『鯨の願い』などとなっており、これによく似た話が『大津郡誌』にも載っていると、佐藤治氏は書いている。佐藤氏によれば、関門海峡を鯨が通過したことは、明治にはいってから現在まで二度あった。子鯨の話は、そのうちの一度で、明治四十年のことだそうである。
それはさておき、先年も、関門海峡を三頭の鯨が通って大騒ぎした。山口新聞によれば、昭和四十八年六月一日午前十時四十五分ごろ、完成間近であった関門橋の下を、十三メートルか十五メートルくらいの鯨が通ったというのである。
この噂は、またたくまに広がり、海岸べりは物凄い人だかりとなったが、鯨はゆうゆうと泳いで海峡を東へのぼって消えたそうである。
同紙にはその証拠写真まで掲載されていたが、『子鯨の話』と同じく、三頭の鯨であるところが、何か因縁めいている。

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Posted on 2017/05/18 Thu. 09:40 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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