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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

勝安寺と高台の町々 

勝安寺と高台の町々

旧下関駅前の市営駐車場一帯には戦後しばらくまで豪華なグリーンベルトが造られていた。
ここに立って正面の丘を見るとあの特徴ある長刀を握りしめた高杉晋作の銅像が見下ろしていた。
人々はその像を見上げては、本州の最果てにやってきた感慨に耽り、あるいは祖国への別れを惜しんだ。

また、関釜航路で帰国する人は六連島のあたりから台上の高杉像を探し求め、ようやく帰り着いたという喜びにしたるのであった。

それは高杉の銅像が下関の駅前に建っていたからこそ、市民にも馴染み深く、旅人たちには高杉と下関の結びつきが強く印象づけられたのであろう。
上野の西郷、土佐桂浜の龍馬とともに下関の高杉はこうして全国に知られるようになったが、駅が遠く西へ移ったというそれだけの理由で、シンボルとしての存在が薄れ始めたと思えてならない。
それは何も、銅像が陶像に変わったということではなく、やはり旅行者にとっての立地条件が悪くなったせいであろう。

もし、そうだとすれば、下関駅、唐戸、赤間神宮、火の山、長府城下町とつづく観光コースに、この日和山をぜひ加えて、歩いてでも登ってみたいと思わせる魅力づくりを検討する必要がありはしないか。

などと、ぶらたん氏、もっともらしい顔つきになるが、そんなことはどうでもいい。
さあ、先を急ごう。

文化会館の前の信号を渡る。
要通りを抜ける。
裏通りから更に中通りへ出て下関駅へ向かって歩こう。
右手に殿峰墓碑の案内柱があり、東光寺参道も岐れている。
その少し先は豊前田の谷だ、
そこから茶山口まではアーケードが続く商店街。
その少し西よりの婦人服店の真正面に真宗本願寺派の勝安寺がある。
もともと彦島にあった寺院だが、元禄年間にここに移ったと伝えられている。

約二十段の石段を登って山門をくぐると正面に本堂、右手に庫裏があって、商店街のど真ん中とは思えない静かさだ。
泰山木とザクロの古木が四季折々にその濃度を変えて、開花期のひそやかな美しさもまた格別である。

「村上先生感恩碑」と書かれた台座を含めば約三メートルの石碑は、下関の初等教育の基礎を作った功労者の一人、村上正介の頌徳碑。
村上正介は広井良図と共に多くの子弟を育てたが明治初年に開いた赤間義塾は現在の関西小学校の前身である。

その横に文政八年と刻まれた石灯籠が一対、その真ん中にはかなり風化した石文がある。
しかし、刻んであるものが俳句か和歌か判読できない。

また、ここの墓地には、文政元年に「長門国志」三十三巻を書き残した中村徳美の墓があると伝えられているが、見当たらない。

本堂左手の墓地のイチョウの木はかなり高く大きいし、それよりもっと高く聳え立っている大イチョウは本堂の裏手にあるが、そのことは先に笹山への道筋にも書いた。

勝安寺に遊んだ後は、そのまま下関駅へ向かってもいいだろう。
だが、もしも、まだ歩き足りないなとお思いなら、豊前田の谷まで戻って、笹山、東方司、八幡町などの複雑な高台の辻々を歩いてみるのもまた楽しい。

まず、谷筋の坂道を登ってみよう。
紅葉稲荷への参道を右手に、笹山から下ってきた小道を左にやり過ごし、少し登ると古い家並みに挟まれて朱塗りの鳥居が立っている。
扁額には「最上位政徳天王」と書かれてあるが、鳥居の奥の突き当たりの家には「最上稲荷」となっていて、なんとなくその由緒などを訊ねてみたい雰囲気がある。

鳥居の前を更に登るとやがて峠に出るが、その少し手前の酒屋の角を左に入ってみよう。
正面に天理教硯海分教会への矢印があり、それに沿って登ればインマヌエルキリスト教会が右手奥にあるが、そのまままっすぐに進むと下り坂となる。

その下りかけたあたりの角の店を左に折れると笹山一-27の標識のそばに庚申塚がひっそりと立っている。
町に住む人々にとってはすでに伝説的でさえある庚申信仰がこのような台地の一角では、まだまだ立派に生き続けているのだ。

そこは変則四差路となっていて、どの路地を歩いてもそれぞれに趣があって楽しいが、再び先ほどの店まで戻って旧東方司の長い下り坂を味わうのもいい。
狭く細い急坂で、最も下関らしい風情を醸し出してくれる町筋でもある。

このまま下れば茶山市場の少し上の理髪店のそばに出るが、途中から左手の大きく生い茂った樹へつづく石段を登って安政年間と書かれた童女を供養する地蔵尊を拝んで薬剤師会館前から茶山商店街へ出てもいい。

また、旧八幡町を楽しみたいと思うなら、豊前田町の谷の峠近く、長崎町と関西町との境界の小路を左へ折れてみるのがよかろう。
細く入り組んだ道で、とんとんと石段を登るとすぐに下り始める。
その途中、右手の石段の上に小さな鳥居が見える。
ついでに登ってみよう。
「正一位勇覚稲荷、松川稲荷、古川稲荷」と一つの石に三つの名前を併記した祠がある。
他に社殿はなく実にあっけらかんとしているが、鳥居のそばには文政年間に奉納された手洗鉢があるので、藩制時代には多くの信者を集めた由緒あるお稲荷さんであったのだろう。

すぐ下には関西小学校、右手の丘は日和山で、遠くに火の山や竜王山が望める。
そして、鳥居の下の小路を西へ行けば突き当たりに本願寺派の大願寺、ここの住職は法正院や常楽院の住職らと共に山口県児童文化研究会を主宰し、児童の健全育成のために献しつづけている。
しかし極めて地道な活動であり売名でないことをモットーにしているところから、案外、知られていない。

大願寺の前の石段を下って右に折れると、笹山や旧東方司と同じように長い下り坂がつづく。
右側は明るくどっしりした石垣の列で、左側は道路の高さに家の屋根が並んでいたりしてこの風景は珍しい。

そんな坂道をのんびり下っていけば、やがて上条の交差点に出るが、その少し手前の風呂屋の煙突の脇へ向かって路地に入り込めば、茶山と長門市場の間に出る。
買い物公園「グリーンモール」を通って下関駅へはそこから五分もあれば充分。


冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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Posted on 2017/06/07 Wed. 15:02 [edit]

category: 下関あれこれ

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