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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

豊かな歴史に彩られた関門航路2 

豊かな歴史に彩られた関門航路2

関門連絡航路で重要な役割を果たしたのが国鉄関門連絡船で、明治・大正・昭和と三代にわたって、下関ー門司間で旅客輸送に携わった。

山陽鉄道が赤間関まで開通する以前は、本州から九州方面へ西下する旅客は、瀬戸内の海路を利用した。
明治34年、山陽鉄道の全線開通とともに、それまで運航していた徳山ー下関間の航路は閉鎖されて、下関ー門司間の航路だけが残されることになった。
これが関門連絡航路の発祥である。

明治39年、山陽鉄道が国有になると、関門連絡航路も鉄道省の経営下に加えられた。
利用者の増加に伴い、大正14年には就航船の大型化がはかられ、門司丸、豊水丸、長水丸、下関丸といった400トンから500トン級の船四隻が就航した。
輸送のピークは太平洋戦争の始まった昭和16年で、一日に関門間を53往復し、年間約880万人が海峡を渡っている。

しかし、昭和17年の関門鉄道トンネルの開通、同33年関門国道トンネルの完成などによって、連絡船利用の旅客数は次第に減少していった。
そしてついに同39年10月31日、長水丸が最後の航海を行い、63年間の国鉄関門航路の歴史に幕が降ろされた。

関門海峡横断航路には、貨車専用の航送船や自動車専用の航送船などが運航した歴史があり、今も当時の海峡談義に、話がはずむ。

現在も下関ー門司間の関門航路は健在である。
また、巌流島への定期航路や海峡フェリーによる小倉への航路などといった新しい海の道の開発も進められており、下関はこれからも海と共生していく宿命にある。

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/08 Thu. 08:55 [edit]

category: 下関の歴史論文

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