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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

豊かな歴史に彩られた関門航路1 

豊かな歴史に彩られた関門航路1

関門連絡航路は、下関と門司の人々にとって、生活に密着した海上交通手段であった。
現在では、関門鉄道トンネル、関門国道トンネル、関門橋、新幹線トンネルなどの開通によって本州と九州の往来が容易になり、乗船客が減少したが、それでも今もなお通勤通学者にとっては必要な航路である。
そして一般客や観光客にとっては、短時間ながら本州から九州へ、あるいはその逆の海峡横断は、じつに魅力的な船旅である。

下関・門司間の定期航路は、市制施行と時を同じくして明治23年9月に門司の石田平吉によって創業された。
定期航路とはいいながら、使用された船は手漕ぎの和船で、片道の運賃は5銭であった。
その後間もなく、自念組、いろは組などが競ってこの航路に船便を出すようになったため、石田は汽船を投入して対抗し、同29年9月には、下関の土井重吉が創設した関門汽船株式会社と共同経営に乗り出し、事実上航路の独占を果たした。
その頃、下関の西南部にあった回漕店「肥後又」は、汽船に対し和船で対抗、乗客の獲得合戦に火花を散らし、9銭の運賃を5銭に値下げし、ついに無料にしたあげく、景品に手拭いまで添えるという珍事に発展したこともあった

(野村忠司)

図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/11/07 Wed. 11:11 [edit]

category: 下関の歴史論文

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