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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

青春の船出2 

青春の船出2

彦島福浦港口の金比羅社に登っては、そこに至る石段の数から、一段の高さを七寸として高さ十四丈と推定したりしている。
また、ここに設けられた燈籠堂の油銭の出所にも言及するなど、経済的な考察も行っている。
しかしこの時期の松陰からは、のちの思想家としての片鱗はうかがい難い。

下関は阿弥陀寺に詣でたのち、その坂下に位置する本陣伊藤家に立ち寄り、読書にふけっている。
当時は杢之助が当主であり、松陰はその人格識見に惹かれ、また同家にある多数の蔵書にも魅了されて、日程の詰まったこの旅にも二度に渡って同家を訪ねている。

松陰は以後、下関を通るたびに必ず伊藤家に立ち寄り、読書にふけっている。
生涯にわたって一万冊の読書を志していたとされる松陰にとって、伊藤家の蔵書は彼を魅了するものであったろう。
「馬関に伊藤杢工を訪う」という題の七言絶句が「未忍焚稿」のなかにある。
思想家としての松陰の思想形成に、伊藤杢之助の果たした役割は決して小さくなかったと思われる。
松陰出立の一端が下関にあったことは否めないことであり、松陰がこの最初の旅の途中、下関の地で求めた赤間硯が、萩の松陰神社の御神体とされているのも、その証左であろう。

(前田博司)

図説「下関の歴史」より

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Posted on 2018/10/29 Mon. 08:52 [edit]

category: 下関の歴史論文

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