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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

与次兵衛ヶ瀬と太閤岩2 

与次兵衛ヶ瀬と太閤岩2

平家びいき、小次郎びいきの優しい心根の下関人は、寛永10年浄財を集めて死の瀬に航海安全の標柱を建て、与次兵衛ヶ瀬と名付けた。
その石柱についてはシーボルトも「江戸参府紀行」に記しているが、明治43年の海峡浚渫工事で除礁、碑は下関市内を転々とさせられた後、門司めかり公園に移して建て直されている。
赤間神宮に近い海べりに建つ「与次兵衛碑」は昭和54年10月「関門就航草創の地」碑とともに建てられた新しいものである。

ところで、広島県尾道市の浄土寺という古刹の宝物館には、天正5年に描かれた大絵馬が収蔵されている。
これに「明石船頭石井与次兵衛奉納」の文字が見え、彼がかなり広い海域を操船していたことが想像される。

日本丸の遭難で命拾いした秀吉にちなんで、赤間神宮水天門の下に築かれた巨石群の泉水が「太閤岩」と名付けられたのは昭和42年のことである。
これは下関商港一帯を浚渫した折に海底から次々に出てきた大岩を赤間神宮が譲り受けたもので、大阪城築城の際に九州から海路を運ぶ石船が事故で沈んだものであろうと推測される。

(冨田義弘)


図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/17 Wed. 10:05 [edit]

category: 下関の歴史論文

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