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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

阿弥陀如来坐像と彦島十二苗祖3 

阿弥陀如来坐像と彦島十二苗祖3

ところが、彦島には以前にここに住みついた河野一族がいた。
伝えるところによれば、それは伊予勝山の城主、河野道匡の嫡子通次に従う園田一学尚久、二見右京勝定、小川甚六安友、片山藤蔵正直、柴崎甚平信重らで、平家滅亡28年前の保元2年1月のことであったという。
通匡は大江政房の嫡子で、保元の乱に参戦して京都白河殿の夜討ちで討ち死にした。
通次や主従は再起を誓って九州へ落ち延びる途中、この島を仮寓としたのであった。

また、健保2年には和田伝済義信が来島して住み着いたが、彼は源氏の侍所別当を務めた和田義盛の五男で、源範頼を倒した鎌倉の頼朝を討とうとして果たせず、彦島に流れてきたという。

河野一族の六家と和田家は源氏、植田ら五家は平氏であるが、この十二家は一遍上人の高弟、西楽法師の懸命な説得を受け入れ、手を携えて島の開拓に励み「彦島十二苗祖」と呼ばれた。
「サイ上がり神事」や「平家踊り」は十二苗祖ゆかりであると伝えられている。

(冨田義弘)


図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/15 Mon. 13:24 [edit]

category: 下関の歴史論文

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