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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

平家一門海峡に滅ぶ3 

平家一門海峡に滅ぶ3

源平最後の合戦の地は、なぜ関門海峡の壇之浦でなければならなかったか。
平家は九州の博多を起点に、中国大陸の宋と交易をすることによって膨大な利益を上げ、資金を持っていたのである。
奢れる平家の背景には、源氏にはない海外交易があり、それは清盛の弟、頼盛を太宰府に現地着任させ、日宋交易の監理をさせていたことにみることができる。

そして日宋交易の船は、瀬戸内海の入り口、関門海峡の自由航行が保証されていなければ、成立するものではなかった。
平家にとって、海峡のの制海権を保つには、海峡の航路を死守しなければならなかったのである。
こうしたことから、壇之浦が最後の決戦の地となったのである。

海峡の両岸には合戦の史跡が多くあり、数え八歳で入水崩御した安徳天皇をはじめ、武将や女官が820年の年を経て、なお人々の胸のなかに息づいているいるのである。
(安富静夫)


図説「下関の歴史」より
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Posted on 2018/10/12 Fri. 08:30 [edit]

category: 下関の歴史論文

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