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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

サイ上り 

サイ上り


 それは、平治元年(1159年)十月十五日のこと。
 里から西南にあたる海上に、紫色の雲がたなびき、その海中が黄金色に輝いているのをイナ魚取りの漁師たちが見つけた。
 その話は、またたくうちに里中にひろがり、河野通次をはじめ、多くの人びとが浜辺に集まってきた。

 彼らは、不思議な光を遠くから眺めながらワイワイガヤガヤ、勝手なことをしゃべり合っていたが、その中の一人が、通次の命を受けて、それを調べることにした。男は恐る恐る海に入って、鉾で海中を突いた。すると、そこから明鏡があがって来た。明鏡の裏面には八幡尊像が彫られており、鉾はその左眼を突きさしていた。
 しかし、通次は、これこそ我が守り本尊だ、と大喜びで、近くの小島にお堂を作り、明鏡をまつって『光格殿』と名付けた。

 翌年、即ち永暦元年(1160年)十月十五日、通次は、明鏡引き揚げ一周年を祝い、光格殿の前で奉納舞いを舞った。
 その時、通次は甲冑で身をかため、明鏡引き揚げの様子を再現したが、興奮のあまり、
『さあ、揚がらせ給もうたぁ』
 と、大声で叫んだ。その日から、光格殿の小島を、『舞子島』と呼ぶようになった。

 その後、毎年十月十五日には、明鏡引き揚げの舞いを奉納するのがならわしとなったが、正和二年(1313年)五代目河野通貞は、光格殿を西ノ原に移して、八幡祭礼式を定めると共に、奉納舞いを『サヤガリ神事』と呼ぶことにした。
 その神事というのは、まず、境内の中央に三角形の砂土を盛りあげ、榊を一本立てる。そのまわりを、かみしもをつけた三人の子供が、三角状に横飛びに跳ね、手にした榊を伏し拝む。それが三周したところで、甲冑を着て立ちをはいた武者が登場し、盛土を弓で突き、『さあ、あがった』『さあ、あがった』と叫びながら踊る。
 弓は鉾をあらわし、子供たちは、イナ魚の飛ぶさまであるという。
 やがて武者は、御神体が引き揚げられたことを意味して、喜びの声と共に、『さあ、あがらせ給うたぁ』と、大声に叫び、この儀式は終わる。

 つまり、『サヤガリ』とは、『さあ、あがった。さあ、あがった』という武者の叫びがなまったもので、それがいつのまにか、『サイ上り』に転じたのだろうと。古くから伝えられている。今では、彦島八幡宮秋季大祭の圧巻として広く知られている。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
 『サヤガリ』は、今では『サイ上り神事』と呼ばれ、下関市無形文化財に指定されている。
 『下関民俗歳時記』によれば、
 『…通次甲冑に身をかため弓箱を携え、鬼門に向って数矢を放ち、従う武士もまたこれにならったものといわれ、いまでも十二苗祖末流の衆が武具甲冑姿で参列する。本殿祭、初輿祭、潮掻行事、サイ上り神事、本殿還幸祭と行われるが、サイ上り神事は潮掻きで心身を清めたあと…』行われると書かれている。
 藩制時代に於いては、この神事は毎年十月十五日に行われていたが、明治に入ってからは陽暦の十月二十七日に変わり、大正十年、正式に十月二十一日と定められ今日に至っている。
 なお、二十日は『宵宮』で、俗に『どぶ祭り』と呼ばれている。
 氏子たちは、それぞれの家庭で、十六・七日から甘酒を準備し、二十日の夜がちょうど飲み頃になるように作りあげるのである。いわゆる『濁酒まつり』である。
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Posted on 2020/01/09 Thu. 12:38 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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