彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
佛岩(ほとけいわ)
佛岩(ほとけいわ)
むかし、むかしのことじゃ。
小戸の浜に『佛岩』ちゅう、位牌みたような石が立っちょった。
源平合戦のころの話ちゅうことじゃ。
平知盛さまの軍船は海士郷から出陣なされて、壇ノ浦で戦われたが、武運つたのうして小戸に押し流されてしまわれた。
義経ちゅう男は、どねぇもこねぇもならん、どだい意地きたなあ奴で、どないなことがあろうと平家一門を全滅せにゃならん、ちゅうて深追いして来たそうな。
そいで平家の武士たちは、小戸の瀬戸まで流されて来た時、ここをせんどちゅうて、次々に海に身を投げてしまわれた。うん、御裳川の先帝のみあとを追うたわけじゃな。
そいでも死にきれんで、陸に泳ぎ着いた武士が何人か居って、そのお人らは寄り合うて一門の霊を慰めることをあれこれ詮議なされたらしい。
そして、そこらにあった大けい根石を位牌の形に刻み込うで、表面に経を彫って、ねんごろに供養したちゅうことじゃ。
それを平家一門の墓とせんやったのは、源氏の詮索を恐れてのことで、ほいじゃけぇ、みんなは『佛岩』ちゅうことだけで、一門の霊を弔ろうて来たんじゃろう。
ワシらが、まだこまあころにゃあ、あねえな石やぁ、ようけあったい。ほいであの磯のことを『佛の瀬』とも言うて、あの瀬に船をこじ当てたり、木っ端になった漁師もようけ居って、みんながあの瀬にゃぁ気いつけぇょ、言うて恐れたもんじゃが。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
この話は、ある古老から聞いたものを、そのままの口調で書き写した。
この話の面白さは、源氏方の英雄、義経を悪者扱いしていることで、これほど憎々しく語りついだ例は、全国でも珍しいに違いない。
『仏岩』には、怪談めいた話が多く残されている。海士郷や小戸地区に伝えられたものであるが、それだけに、漁師にまつわる話しばかりであったようだ。それも、殆ど、すたれてしまって語られないのが惜しい。
今、古老の口から聞き出せるものといえば、『佛の瀬』と『小瀬戸の海坊主』くらいしかないようである。
むかし、むかしのことじゃ。
小戸の浜に『佛岩』ちゅう、位牌みたような石が立っちょった。
源平合戦のころの話ちゅうことじゃ。
平知盛さまの軍船は海士郷から出陣なされて、壇ノ浦で戦われたが、武運つたのうして小戸に押し流されてしまわれた。
義経ちゅう男は、どねぇもこねぇもならん、どだい意地きたなあ奴で、どないなことがあろうと平家一門を全滅せにゃならん、ちゅうて深追いして来たそうな。
そいで平家の武士たちは、小戸の瀬戸まで流されて来た時、ここをせんどちゅうて、次々に海に身を投げてしまわれた。うん、御裳川の先帝のみあとを追うたわけじゃな。
そいでも死にきれんで、陸に泳ぎ着いた武士が何人か居って、そのお人らは寄り合うて一門の霊を慰めることをあれこれ詮議なされたらしい。
そして、そこらにあった大けい根石を位牌の形に刻み込うで、表面に経を彫って、ねんごろに供養したちゅうことじゃ。
それを平家一門の墓とせんやったのは、源氏の詮索を恐れてのことで、ほいじゃけぇ、みんなは『佛岩』ちゅうことだけで、一門の霊を弔ろうて来たんじゃろう。
ワシらが、まだこまあころにゃあ、あねえな石やぁ、ようけあったい。ほいであの磯のことを『佛の瀬』とも言うて、あの瀬に船をこじ当てたり、木っ端になった漁師もようけ居って、みんながあの瀬にゃぁ気いつけぇょ、言うて恐れたもんじゃが。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
この話は、ある古老から聞いたものを、そのままの口調で書き写した。
この話の面白さは、源氏方の英雄、義経を悪者扱いしていることで、これほど憎々しく語りついだ例は、全国でも珍しいに違いない。
『仏岩』には、怪談めいた話が多く残されている。海士郷や小戸地区に伝えられたものであるが、それだけに、漁師にまつわる話しばかりであったようだ。それも、殆ど、すたれてしまって語られないのが惜しい。
今、古老の口から聞き出せるものといえば、『佛の瀬』と『小瀬戸の海坊主』くらいしかないようである。
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