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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

蟹島 

蟹島


 むかし、むかし、大むかし、下関の火ノ山は、その名の通り、火を噴く火山であった。

 ある年、火ノ山が大爆発を起こした。そして噴き上げられた熔岩は、響灘へと流れ込んだ。
 そのころ、響灘には大群のカニが棲んでいたが、その大半は身を挺して熔岩をせき止め、残る半分は、懸命に鋏み止めたという。

 この時の何千億というカニの死骸は山となって、一つの島が出来た。
 それが、響灘に浮かぶ『蟹島』で、空からこの島を見ると、今でも、カニそっくりであるという。
 そしてこの島には、北の浜に『蟹の背』という瀬があり、森の中には『蟹の目』と呼ばれる所が残っているが、昔からこの島の人びとは、絶対にカニを食べなかったという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
蟹島は、今の六連島の古称である。というより、俗称であろうか。
この島には、国の天然記念物指定を受けた雲母玄武岩があるが、これは、蟹の精が凝結して出来たものだ、と信じている人が今でも多い。
六連島の灯台は、明治四十一年十一月の完工で、全国で最初に出来た灯台の一つである。従って、翌五年六月、六連島行幸の明治天皇は、洋式灯台というものを、ここで初めて御覧になられた。
この時、島の人びとが、土下座して天皇をお迎えしようとしたところ、『立って奉迎してもよろしい』と言った西郷隆盛の思いやりは、いつまでも古老の語り草となった、と伝えられている。
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Posted on 2019/12/10 Tue. 11:32 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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