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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

ヒヨドリの渡り 

海峡の自然

ヒヨドリの渡り

司馬遼太郎の「街道をゆく」に、関門海峡が登場します。
「私は日本の景色のなかで馬関(下関)の急潮をもっとも好む」と記しています。

この急潮の場所が、寿永4年3月24日、源氏と平家の最後の合戦が行われた「壇之浦」で、一日に四度び流れを変える潮を読んだ源義経が勝利し、御年八歳の幼帝「安徳天皇」を擁する平家は、滅亡の場所となったのです。

急潮が巴の渦を巻くところから「早鞆の瀬戸」と名づけられた最狭部の距離は、わずかに670メートル。
司馬遼太郎の描いた自然の風景です。

この関門海峡を取り巻く自然のいとなみのなかに、感動するものがいくつかありますが、その一つ「ヒヨドリの渡り」を紹介しましょう。

秋、この海峡を北から南、本州から九州へ、そして春になると、南から北へと帰るヒヨドリの数万羽が演じる壮大な自然のドラマです。

9月の半ばから10月にかけて、北海道から南下してくるヒヨドリは、対岸に九州を望む渡海の地、下関市彦島の最南端に全てが集結します。

この地に至るには、決まったルートがあり、拙宅の上空もその最終日のコースで、出勤時におよそ百羽ほどの群れが、ピーヨピーヨと鳴きながら、薄い布を広げたり、細めたり波形を描きながら、次々と飛び行く多くの群れが毎朝見られ、秋の到来を告げる海峡の風物詩となっています。

年によってその群れ数には差異があり、少ない年は自然の異変に心を痛め、多い年にはその繁栄に安らぎを覚えることになります。

ともあれ、遠路を南下して来たヒヨドリは、危険な海峡を無事に渡って、暖かい九州の地へたどり着かなくてはなりません。

疲れた羽を休める暇もなく、晴天の、八時から九時にかけて、天敵ハヤブサを襲来をうかがうことから、渡りの序章が始まります。

およそ百羽のヒヨドリは、椎などの繁る森からピーヨピーヨと鳴きながら飛び立ち、幾つかの群れが集合、合体し、大きな群れをつくり、その数は、みるみるうちに千羽にもなります。
それは大きな集合体となって、小さな体を大きな一つの物体に見せる知恵なのでしょうか。

海峡の対岸、南方約3キロに見える北九州市小倉北区を目指すのですが、決行するまでには、森から飛び立ったかと思うと、森へと帰る行動を三度、四度と繰り返します。

それは、森に潜むハヤブサの襲来の有無を、うかがっての所作であろうと思われます。

決行するかのように勢い良く飛び立ったのち、上空で旋回するハヤブサの勇姿にあわてて引き返す群れもしばしば見られ、一日のうちには、運悪く、群れの一羽を失うこともあります。

ようやくにして九州を目指して飛翔を決行した群れは、海上に出ると海面に突っ込むかのように、急降下で高度を下げ、海面すれすれを龍の行くかのように、群れの波形を右に左にと大きく揺らしながら、ときにはひとかたまりの球形となったりして進みます。

海上を渡るときに見せるこうした奇異な所作は、追撃して来たハヤブサが、ヒヨドリの群れを目指し急降下すると、勢い余ってそのまま海中に突入し、没することからの安全策だといわれています。

しばらくの間、渡る群れに目を凝らしていると、視界から消えようとする間際、九州の海岸近くから急上昇し、その姿は視界から完全に消えてゆきます。

10月半ばの最盛期には、一日に約一万羽のヒヨドリが九州へと渡りますが、その飛翔の姿をながめていると、無事に渡ってくれることを祈らずにはいられません。
ヒヨドリの繰り広げる、感動のひとときなのです。

春、九州から本州へと帰って来るヒヨドリのルートは、彦島から約10キロ東の北九州市門司区の東端、部崎灯台の地が渡りの地で、南下と北上の地は違っていますが、その理由は、解明されていません。

何日間もかけて、本州北部から飛来する距離からすると、ほんのわずかな距離の関門海峡ですが、危険は最大の海峡なのであろうと思うと、渡りきったヒヨドリの群れに拍手を送りたくなります。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/17 Sun. 11:33 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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