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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

高杉晋作が彦島を救った 1 

高杉晋作が彦島を救った 1


幕末、彦島はその後の日本史を大きく変えてしまうかもしれないほどの危機にさらされていました。
当時の窮地を救ったのは、若干26歳の「高杉晋作」でした。
新作が24歳の時に、上海に旅行に行っていなかったならば、今頃皆さんの家は彦島にはなかったかもしれない…というお話です。

攘夷の決行

1863年、長州藩は「攘夷」を決行します。
攘夷とは「夷人をしりぞける」。
つまり外国を実力行使で撃ち払うという考えでした。
攘夷戦にそなえて、彦島にも老の山や竹ノ子島、山床(田の首)などに砲台が築かれました。
攘夷期限とされた文久3年5月10日、長州藩は兵を下関に集結させます。
久坂玄端率いる光明寺党は、亀山砲台から合図の一発を放ち、関門海峡を通るアメリカの商船ベンプローク号を砲撃しました。
以降、フランスやオランダの船にも砲撃を加え、長州藩は外国船を撃ち払うことに成功しました。
しかし6月1日、列強の反撃が始まります。
アメリカ軍艦ワイオミング号が関門海峡に現れ、長州藩は亀山砲台と彦島砲台砲撃しますが、砲弾は届きません。
海峡に入ってきたワイオミング号は、艦砲射撃で亀山砲台を破壊し長州藩の軍艦を戦闘不能に追い込みました。
6月5日には、フランスの軍艦2隻がやってきて、前田、壇ノ浦の砲台は壊滅的な打撃を受け、フランス軍250人が前田に上陸。
砲台を占拠され、村に火を放たれるなど大敗を喫することになりました。
下関での敗北は、萩城にいた藩主毛利敬親にもすぐ報告されました。
敬親は、下関の海の守りに萩から25歳の高杉晋作を送り込み、晋作は身分を問わない有志による軍隊「奇兵隊」を結成します。

翌年、四カ国連合艦隊が来襲(下関戦争)彦島も

関門海峡で外国船打ち払いを決行した翌年、元治元年8月、四カ国連合艦隊(イギリス、オランダ、フランス、アメリカ)17隻が下関に来襲しました。
8月5日から7日のわずか三日間で、嵐のような攻撃を受け、7日には彦島の砲台は群は集中攻撃を受け陸戦隊に上陸され、大砲60門を奪いとられました。
長州藩の砲台はことごとく破壊され、多くの外国兵の上陸を許し、長州藩は敗北しました。


彦島商店会発行「もっと知りたい! 彦島」より
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Posted on 2018/06/22 Fri. 12:03 [edit]

category: 彦島あれこれ

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