彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
彦島のいわれについて
■彦島のいわれについて
彦島という地名は、その昔に日本書紀の仲哀記に「引島」とある。
歌人源俊頼朝臣(1124~?)の「袖中妙」(しうちゅうしょう)にも「ひくしま」と読んでいる。
吾妻鏡(あずまのがかみ)(1260~1266)に初めて「彦島」とあり、源平盛衰記(げんぺいせいすいき)(1250~)に「長門の国彦島という所に白を構えたりこれをば引島とも名づけたり」とあって「彦島」とも「引島」ともいっている。
島は一時豊前領であったが、元和六年(1620)長府藩主毛利秀元と小倉城主小 笠原忠政の協議によって、長府領であった「門司」と小倉領であった「引島」とを交換したともいわれ、その後、文久年間(1861~1863)に毛利藩主は「引」は 武事に忌むとして「彦島」に改められた。
■引島と彦島
◆引島
古代は、関門海峡は、門司と下関の間は陸続きで、下の方に小さな穴があいていて 外海と内海の潮が行き来していた。
いわば洞穴(ほらあな)のような状態で、それで穴の門と書いて、「穴門」と呼んだ。 日本書紀の仲哀記にも「穴門の国 引島」と記載されている。 後に山口県の西半分を長門の国というようになりますが、それは、この「あなと」が「ながと」になまったのだと云われている。
約千八百年前、九州に向われるため長府の豊浦宮を出発された仲哀天皇と神功皇后がのお船が穴門にさしかかると、不思議な事に下関と門司の間の山が突然海に落ち込んで水路が出来たといわれている。 このとき、海に落ちた下関と門司の間の山は、激しい急流に押し流されて西へ流れ一つの島になった。 ちょうどそのありさまが、海峡を作るために山が引きさかれたように見えたのでそひくしまの島を「引島」と名づけたそうである。
◆彦島
今一つの説は、神代の昔、ヒコホホデミノミコトという神様が天から降られてお兄さんから借りた大切な釣り針で魚釣りをしていたところ、その釣り針を魚に取られてしまいしまった。
それを探すために海士(あま)になって海に潜り、龍宮へ行かれたという神話があります。
このヒコホホデミノミコトが天から降られて海士になったところが彦島の海士郷(あまのごう)だといわれるし、ヒコホホデミノミコトゆかりの島という事で彦島と呼ばれるようになったという説もある。
彦島八幡宮HPより
彦島という地名は、その昔に日本書紀の仲哀記に「引島」とある。
歌人源俊頼朝臣(1124~?)の「袖中妙」(しうちゅうしょう)にも「ひくしま」と読んでいる。
吾妻鏡(あずまのがかみ)(1260~1266)に初めて「彦島」とあり、源平盛衰記(げんぺいせいすいき)(1250~)に「長門の国彦島という所に白を構えたりこれをば引島とも名づけたり」とあって「彦島」とも「引島」ともいっている。
島は一時豊前領であったが、元和六年(1620)長府藩主毛利秀元と小倉城主小 笠原忠政の協議によって、長府領であった「門司」と小倉領であった「引島」とを交換したともいわれ、その後、文久年間(1861~1863)に毛利藩主は「引」は 武事に忌むとして「彦島」に改められた。
■引島と彦島
◆引島
古代は、関門海峡は、門司と下関の間は陸続きで、下の方に小さな穴があいていて 外海と内海の潮が行き来していた。
いわば洞穴(ほらあな)のような状態で、それで穴の門と書いて、「穴門」と呼んだ。 日本書紀の仲哀記にも「穴門の国 引島」と記載されている。 後に山口県の西半分を長門の国というようになりますが、それは、この「あなと」が「ながと」になまったのだと云われている。
約千八百年前、九州に向われるため長府の豊浦宮を出発された仲哀天皇と神功皇后がのお船が穴門にさしかかると、不思議な事に下関と門司の間の山が突然海に落ち込んで水路が出来たといわれている。 このとき、海に落ちた下関と門司の間の山は、激しい急流に押し流されて西へ流れ一つの島になった。 ちょうどそのありさまが、海峡を作るために山が引きさかれたように見えたのでそひくしまの島を「引島」と名づけたそうである。
◆彦島
今一つの説は、神代の昔、ヒコホホデミノミコトという神様が天から降られてお兄さんから借りた大切な釣り針で魚釣りをしていたところ、その釣り針を魚に取られてしまいしまった。
それを探すために海士(あま)になって海に潜り、龍宮へ行かれたという神話があります。
このヒコホホデミノミコトが天から降られて海士になったところが彦島の海士郷(あまのごう)だといわれるし、ヒコホホデミノミコトゆかりの島という事で彦島と呼ばれるようになったという説もある。
彦島八幡宮HPより
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