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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

高杉晋作ゆかりの地を巡る 

高杉晋作ゆかりの地を巡る

身分制度の厳しかった江戸時代に、町人、農民により編成された奇兵隊を結成し、長州藩の尊王討幕志士として活躍した高杉晋作。幕末という激動の時代を駆け抜け、日本の歴史を動かした高杉晋作の足跡を辿ってみませんか。

白石正一郎旧宅跡(奇兵隊結成の地)

高杉晋作は文久3年6月、荷受問屋 白石正一郎の後ろ盾を得て同士と共に、当地において「奇兵隊」を結成しました。白石正一郎は竹崎の荷受問屋で、鈴木重胤に国学を学び早くから勤王の志がありましたが、西郷隆盛に接したことから実際の活動に入ることになり、坂本龍馬ら諸藩の志士と広く交わり彼らの陰の力として大きな役割を果たしました。

功山寺

嘉暦2年創建の曹洞宗の寺で、長府毛利家の菩提寺でもある名刹。唐様建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺様式を残しており、国宝に指定されています。桜と紅葉の名所としても知られています。高杉晋作が明治維新の転機となる旗揚げをした場所でもあり、門前に回天義挙の碑、境内には馬上姿の高杉晋作義挙銅像が建てられています。

高杉晋作療養の地

高杉晋作は小倉戦争で、長州軍を指揮して幕府軍と戦いましたが、この戦いで持病の結核が悪化し、桜山神社の近くに小さな家を建てて、野村望東尼、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。

高杉晋作終焉の地

療養中の高杉晋作の身を案じた正妻のマサが看病のため、萩から訪れたことを機に新地の林算九郎宅に移りましたが、慶応3年4月14日、明治維新の直前に、27歳の若さで息を引き取りました。

東行庵

高杉晋作の墓は吉田の東行庵の裏山、清水山にあります。散策が死ぬ間際に「吉田へ…」とつぶやいたことから同所に葬られることとなったのです。東行庵の前身は、山縣有朋が所有していた「無隣庵」で、晋作の愛人・おうの(出家し梅処尼)に与え、著名士の寄付により東行庵が建てられ、梅処尼に贈られました。


下関たのしい旅のコンシェルジュ「楽しも」より
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Posted on 2019/11/02 Sat. 10:17 [edit]

category: 下関あれこれ

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