彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
竹崎の渡し場と伊崎(上)
竹崎の渡し場と伊崎(上)
白石正一郎宅跡の少し向こうに信号がある。
国道を横切ってガソリンスタンドと日冷の冷蔵庫との間を海風に誘われて出ると下関漁港のはずれに桟橋がある。
彦島海士郷と六連島へ通う渡船の発着場だ。
かっては西細江、岬之町、唐戸、竹崎、黄紺川、本村、江の浦、弟子待、田の首、竹の子島など、港町らしくあちこちにあった渡し場は、次々に姿を消して今ではここと唐戸だけになってしまった。
彦島渡船は江戸時代からという永い歴史を持っていて明治時代には二丁櫓、三丁櫓による和船で五厘船とも呼ばれていた。
下関側の渡し場は現在のニチイのそば、長泉寺の山門の下や、伊崎の鈴ヶ森神社の石段下など何度か変わり、戦時中に今の場所に落ち着いた。
そして、個人経営から村営、町営、市営と変遷を重ねるたびに和船は汽船となり、船の大きさも二十トン、二十五トン、三十トンと形を変えたが、最近は市が手放したために私営渡船に逆戻りしている。
但し、同じ浮き桟橋を使う六連島渡船は依然として市営である。
この二つの渡船は下関漁港を彩る詩情をほうふつとさせ、NHKテレビも「小瀬戸昨今」と題して広く紹介したこともあった。
小瀬戸海峡は桟橋の右手前方にS字状に広がる静かな海で、かつては濁流さかまく急潮の瀬戸であった。
漁港や大和町の造成により往時の潮の流れは偲ぶべくもないが、ここから右岸に沿ってのびる伊崎の町には、古き良き時代の風情がそこここに残っている。
桟橋近くの県漁連冷蔵庫の横を海岸線に沿って西へ行こう。
鐵工所や造船所などが並びやがて行く手に彦島大橋が見え始める。
橋長710メートル、主橋部の中央径間236メートルでコンクリート橋としては世界第一の橋だ。
海を隔てた対岸に大きな岩が突き出ているが、これが伝説で知られる「きぬかけ岩」で平家の哀史を秘めている。「身投げ岩」とも呼ばれ、苔むした地蔵尊などが祀られており、この近郊では珍しい六面地蔵もある。
さて、こちらは伊崎。
突き当たりは小門造船で行き止まりとなる。
右手の丘の上には門柱に報済園と書かれてあるが、この屋敷と造船所の間を入ると月見稲荷が静かな佇まいをみせている。
ここの藤棚は開花期には訪れる人も多く、文化五年の鳥居や寛政年間に奉納された灯篭などがこの稲荷神社の歴史を物語ってくれる。
かつて小瀬戸海峡には、カタクチイワシが多く泳ぎ、これは「小門鰯」と呼ばれて下関の名物であったが、これを獲る漁法に「小門の夜炊き」が有名だった。
全国的にも岐阜長良川の鵜飼とともに広く知られていたという。
瀬戸の流れが月見稲荷の玉垣を洗っていた頃、この境内で盃を傾けながら眺めた夜炊きは、そざ壮観であっただろう。
しかし今は、造船所の塀に遮られて海は見えず、薄暗い境内は月見のイメージさえも打ち消してしまう。
造船所の機械音と油の匂いは実に不粋だ。
月見稲荷の奥は低い丘陵地帯に立ち並ぶ民家と、海岸沿いの工場群だけで何も見るべきものはない。
強いて言えば、根嶽岬の突端に架かる彦島大橋の威容と、そこから望む響灘の海の碧さや北九州工業地帯の煙突の林立くらいなものだろう。
冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
白石正一郎宅跡の少し向こうに信号がある。
国道を横切ってガソリンスタンドと日冷の冷蔵庫との間を海風に誘われて出ると下関漁港のはずれに桟橋がある。
彦島海士郷と六連島へ通う渡船の発着場だ。
かっては西細江、岬之町、唐戸、竹崎、黄紺川、本村、江の浦、弟子待、田の首、竹の子島など、港町らしくあちこちにあった渡し場は、次々に姿を消して今ではここと唐戸だけになってしまった。
彦島渡船は江戸時代からという永い歴史を持っていて明治時代には二丁櫓、三丁櫓による和船で五厘船とも呼ばれていた。
下関側の渡し場は現在のニチイのそば、長泉寺の山門の下や、伊崎の鈴ヶ森神社の石段下など何度か変わり、戦時中に今の場所に落ち着いた。
そして、個人経営から村営、町営、市営と変遷を重ねるたびに和船は汽船となり、船の大きさも二十トン、二十五トン、三十トンと形を変えたが、最近は市が手放したために私営渡船に逆戻りしている。
但し、同じ浮き桟橋を使う六連島渡船は依然として市営である。
この二つの渡船は下関漁港を彩る詩情をほうふつとさせ、NHKテレビも「小瀬戸昨今」と題して広く紹介したこともあった。
小瀬戸海峡は桟橋の右手前方にS字状に広がる静かな海で、かつては濁流さかまく急潮の瀬戸であった。
漁港や大和町の造成により往時の潮の流れは偲ぶべくもないが、ここから右岸に沿ってのびる伊崎の町には、古き良き時代の風情がそこここに残っている。
桟橋近くの県漁連冷蔵庫の横を海岸線に沿って西へ行こう。
鐵工所や造船所などが並びやがて行く手に彦島大橋が見え始める。
橋長710メートル、主橋部の中央径間236メートルでコンクリート橋としては世界第一の橋だ。
海を隔てた対岸に大きな岩が突き出ているが、これが伝説で知られる「きぬかけ岩」で平家の哀史を秘めている。「身投げ岩」とも呼ばれ、苔むした地蔵尊などが祀られており、この近郊では珍しい六面地蔵もある。
さて、こちらは伊崎。
突き当たりは小門造船で行き止まりとなる。
右手の丘の上には門柱に報済園と書かれてあるが、この屋敷と造船所の間を入ると月見稲荷が静かな佇まいをみせている。
ここの藤棚は開花期には訪れる人も多く、文化五年の鳥居や寛政年間に奉納された灯篭などがこの稲荷神社の歴史を物語ってくれる。
かつて小瀬戸海峡には、カタクチイワシが多く泳ぎ、これは「小門鰯」と呼ばれて下関の名物であったが、これを獲る漁法に「小門の夜炊き」が有名だった。
全国的にも岐阜長良川の鵜飼とともに広く知られていたという。
瀬戸の流れが月見稲荷の玉垣を洗っていた頃、この境内で盃を傾けながら眺めた夜炊きは、そざ壮観であっただろう。
しかし今は、造船所の塀に遮られて海は見えず、薄暗い境内は月見のイメージさえも打ち消してしまう。
造船所の機械音と油の匂いは実に不粋だ。
月見稲荷の奥は低い丘陵地帯に立ち並ぶ民家と、海岸沿いの工場群だけで何も見るべきものはない。
強いて言えば、根嶽岬の突端に架かる彦島大橋の威容と、そこから望む響灘の海の碧さや北九州工業地帯の煙突の林立くらいなものだろう。
冨田義弘著「下関駅周辺 下駄ばきぶらたん」
昭和51年 赤間関書房
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