彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
教育施設の変遷7
教育施設の変遷7
翌12年1月にその一部が落成したので、旧校舎から移転し授業を開始しました。
続いて4月の末には全部の工事が終わり竣工をみましたので落成式を挙げました。
校舎の建坪は780坪余り、建築の総工費が11万余円であったと思われます。
この彦島第二尋常小学校は昭和2年の4月に高等科を併置し、彦島第二尋常高等小学校と改称されたわけであります。
これが今の江の浦小学校になるわけですね。
そうです。
その頃の児童数の記録を見ますと、男子560名、女子518名、計1078名で、16学級に編成されたと記録されています。
現在の3300名に比べるとずいぶん開きがあるようですね。
そうですね。
その後の発展の状況をつくづく感じることができます。
江の浦小学校は現在角倉に分校をもっていますが、本村小学校でも確か六連島に分教場があったと思いますが。
これについて何かひとつ。
これはまた非常に古い歴史を持っていまして、六連島の分教場の起こりというのは、明治9年に遡るわけであります。
これは六連島小学校と称しておりましたが、明治20年3月の教育機関統一の時にあたりまして、六連島簡易小学校と改称されたのですが、その後明治43年に敷地坪数300坪に校舎70坪を新築したわけであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
翌12年1月にその一部が落成したので、旧校舎から移転し授業を開始しました。
続いて4月の末には全部の工事が終わり竣工をみましたので落成式を挙げました。
校舎の建坪は780坪余り、建築の総工費が11万余円であったと思われます。
この彦島第二尋常小学校は昭和2年の4月に高等科を併置し、彦島第二尋常高等小学校と改称されたわけであります。
これが今の江の浦小学校になるわけですね。
そうです。
その頃の児童数の記録を見ますと、男子560名、女子518名、計1078名で、16学級に編成されたと記録されています。
現在の3300名に比べるとずいぶん開きがあるようですね。
そうですね。
その後の発展の状況をつくづく感じることができます。
江の浦小学校は現在角倉に分校をもっていますが、本村小学校でも確か六連島に分教場があったと思いますが。
これについて何かひとつ。
これはまた非常に古い歴史を持っていまして、六連島の分教場の起こりというのは、明治9年に遡るわけであります。
これは六連島小学校と称しておりましたが、明治20年3月の教育機関統一の時にあたりまして、六連島簡易小学校と改称されたのですが、その後明治43年に敷地坪数300坪に校舎70坪を新築したわけであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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