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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

地域の史実と口碑伝説11 

地域の史実と口碑伝説11


この弟子待の沖合に「与次兵衛カ瀬」という瀬がありました。
今は航路整備のため取り除かれておりますが、以前は潮流の激しい中にあった恐るべき岩礁でありました。
この瀬で座礁したならば誰も助かる者がないというので「死の瀬」と名付けられていたのであります。
この瀬について、まことに哀れな史実があります。

それは文禄元年豊臣秀吉の朝鮮出兵の時でありました。
秀吉は備前名護屋の城から大阪に帰るために軍船日本丸に乗りました。
大船頭は明石与次兵衛で、彼は熟練したパイロットでありましたが、どうしたことか誤って死の瀬に乗り上げたのであります。
船は今にも激流に呑まれようとちしましたが、幸いに長府の城主毛利秀元の救援があり、またこれを見た弟子待の人々も救助に出ましたので秀吉は事なきを得ました。

哀れなのは大船頭の与次兵衛で、彼はその責任を問われ、ついに首を刎ねられたのであります。
後の人々がこの悲劇の主を憐れみ、岩礁の上に石碑を立てて「与次兵衛カ瀬」と名付け、その冥福を祈るとともに通行の船舶のための危険標識としたのであります。


古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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Posted on 2019/01/08 Tue. 11:25 [edit]

category: ひこしま発展誌

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