彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
彦島とその開拓の歴史7
彦島とその開拓の歴史7
彦島の開拓者である河野一族や平家の残党は、ひとかどの武将でありましたが、いずれも落ち武者で農業と漁業により安住したのであります。
ゆえにその生活は、むしろ消極的でありました。
離れ島のことでもあり、外部との交渉は甚だ稀であったことはやむを得ません。
それが同族結婚で親族が増え、また分家が分家を生むというありさまで、彦島は同姓がすこぶる多いということでもよく知られています。
しかし風俗習慣は、他と比較してとくにとりたててあげるほど変わってはおりません。
というのは、いくら外部との交渉が少ないとは申しながら、目の当たりに下関市があり、また福浦港などは昔から諸国の船舶が出入りしていまして、世情の変化をここから吸収していたので、決して片田舎や山奥のようではなかったと思われます。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
彦島の開拓者である河野一族や平家の残党は、ひとかどの武将でありましたが、いずれも落ち武者で農業と漁業により安住したのであります。
ゆえにその生活は、むしろ消極的でありました。
離れ島のことでもあり、外部との交渉は甚だ稀であったことはやむを得ません。
それが同族結婚で親族が増え、また分家が分家を生むというありさまで、彦島は同姓がすこぶる多いということでもよく知られています。
しかし風俗習慣は、他と比較してとくにとりたててあげるほど変わってはおりません。
というのは、いくら外部との交渉が少ないとは申しながら、目の当たりに下関市があり、また福浦港などは昔から諸国の船舶が出入りしていまして、世情の変化をここから吸収していたので、決して片田舎や山奥のようではなかったと思われます。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
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