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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

眼龍島 

眼龍島


 彦島江ノ浦沖の巌流島は、武蔵、小次郎の決闘の地として知られているが、ほかに『眼龍島』とも呼ばれ、次のような話がある。

 むかし、長門の国に、眼龍という杖術の名人が居た。杖術とは、剣の代わりに樫の丸木杖を使う武道の一つだ。
 丁度その頃、九州豊前にも、弁という太刀使いが居て、俺は天下一の剣士だ、と自慢し、ことあるごとに海を渡って来ては、眼龍の門弟たちに嫌がらせをしていた。
 そんなことが度重なって、とうとう堪忍袋の緒を切った眼龍は、弁に使いをおくり、杖術が強いか、太刀が勝るか、一度決着をつけよう、と申し込んだ。
 場所は、長門と豊前の真ん中に横たわる舟島だ。

 さて、いよいよ決闘の日が来た。

 眼龍は、長門赤間ヶ関の浜から小舟で舟島に渡った。その時、多くの弟子たちが、師と共に島に渡りたい、と申し出たが、眼龍は、
『一対一の勝負ゆえ、それには及ばぬ』と断った。
 弟子たちは仕方なく、対岸の彦島に渡って、舟島の様子を見守ることにした。そこが、今の弟子待町という所だ。

 たった一人で渡った眼龍に対して、豊前の弁は、もともと卑怯な男で、多くの弟子に囲まれて待っていた。
 いかに杖術の名人といえども、その多人数に、眼龍ひとりが、かなう筈はない。
 それでも臆せず、眼龍は正々堂々闘って敗れた。

 この試合の噂は次々にひろがり、心ある人びとの手によって、舟島に眼龍の墓が建てられ、そのうち誰いうとなく、舟島のことを眼龍島と呼ぶようになった。

 ところで試合に勝った弁は、卑劣な振舞いから、多くの弟子たちに逃げられ、道場も閉めざるを得なくなり、豊前小倉の延命寺の浜辺で、何者かに殺されてしまった。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2017/06/01 Thu. 09:05 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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