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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

源平壇ノ浦の戦い 

源平壇ノ浦の戦い


源氏の総大将は源義経、平家の総大将は平宗盛。
寿永4年、四国屋島の戦いで西へ西へと追われた平家一門は、八歳の安徳帝をともなって、平家の拠点があったここ彦島にたどり着き、体制を立て直そうとしました。
彦島は平知盛の所領地で、知盛は「彦島城」を築こうとしていたといわれています。
彦島のどこにそれがあったのかは諸説ありますが、中には杉田の清盛塚あたりにあったという説もあるようです。
最後の決戦、壇ノ浦の戦いは、寿永4年3月24日に始まります。
源氏は840余りの船を集め長府満珠島を拠点として海戦の準備を整えました。
平家は福良(現在の福浦湾)から、500余りの船で出航しました。
海戦が得意な平家、そして関門海峡の潮の流れ知り尽くした平家最強の武将知盛。
戦いの序盤は、西から東に流れる海流に乗った平家が、源氏を追い込みます。
あと一息で平家の勝利というときに、追い込まれた義経は「船の漕ぎ手と舵取りを弓で射よ」と命じたのです。
当時は、船の漕ぎ手や舵取りは戦闘員ではありませんでしたので、彼らを弓で射ることは禁じ手でした。
しかし奇襲戦法を得意とし手段を選ばぬ義経は、最大の戦法違反を犯して最後の勝負に出ます。
漕ぎ手や舵取りを失った平家の軍勢は、たちまち劣勢となり、覚悟を決めた二位尼は、安徳帝に「波の下にも都がございます」と言って、三種の神器とともに海に身を投じ、平家は最後を迎えます。


彦島商店会発行「もっと知りたい! 彦島」より
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Posted on 2019/06/27 Thu. 10:33 [edit]

category: 彦島あれこれ

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