03 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関観光検定049 

【質問】

決闘の島として全国的に有名な巌流島には、高名な人も多く訪れています。
「巌流の墓がある」という意味の文章を残したのは、誰でしょうか。

【答え】

吉田松陰

【解説】

巌流島の正式名は船島です。
下関市大字彦島字船島648番地。
この島で慶長17年4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し、敗死した小次郎の号から、巌流島とも呼ばれるようになりました。
清国が英国に敗北した阿片戦争など風雲急を告げる幕末、吉田松陰は藩命により日本海沿岸の防備を視察しました。
彼はこの巡視の記録を「廻浦紀略」として書き残しています。
それによれば、寛永2年7月16日の項に「舟に乗りて巌流島に至る。これ佐々木巌流・宮本武蔵激剣し、巌流討たせたりと云ふ。巌流の墓あり」という意味のことを記しています。
「巌流討たせたりと云ふ」は意味深長な言葉です。
小次郎は小倉城下で道場を開き多くの門下生がいたが、弟子たちの乱暴狼藉が激しくて町の人が迷惑していたので、小倉藩の家老長岡佐渡が武蔵に依頼して小次郎を討たせたのではないか、という説が伝えられています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
関連記事

Posted on 2019/06/05 Wed. 10:53 [edit]

category: 下関観光検定

TB: --    CM: 0

05

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form