彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
下関観光検定048
【質問】
江戸時代だけでも12回日本を訪問した朝鮮通信使。
日本訪問の際、本州最初の上陸地が下関でした。
一行が下関に上陸した際、宿泊した場所は阿弥陀寺(現赤間神宮)とどこでしょうか。
【答え】
引接寺
【解説】
下関は朝鮮通信使の本土最初の寄港地でした。
通信使は対馬・壱岐、相島に立ち寄り、阿弥陀寺前の桟橋に接岸し上陸しました。
室町時代の通信使は50人程度の人員であったため、宿泊場所は阿弥陀寺(現赤間神宮)のみでしたが、江戸時代になると、300~500人規模となったため、阿弥陀寺と引接寺が充てられました。
阿弥陀寺には三使及び上官、引接寺には中官と下官が宿泊し、通信使の案内と警固のために随行した対馬藩主は馴染みの本陣伊藤家、対馬藩士は下関の商家数十軒に分宿しました。
平成13年8月、通信使の歴史と功績を後世に伝えようと、下関商工会議所や山口県日韓親善協会連合会などでつくる建立期成会が、赤間神宮前の阿弥陀寺公園内に碑を建立しました。
石碑には「朝鮮通信使の歴史的な意義を再認識し、一行上陸の当地に記念の石碑を建立、その歴史を恒久的に顕彰しようとする」との建立の趣旨が刻まれています。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
江戸時代だけでも12回日本を訪問した朝鮮通信使。
日本訪問の際、本州最初の上陸地が下関でした。
一行が下関に上陸した際、宿泊した場所は阿弥陀寺(現赤間神宮)とどこでしょうか。
【答え】
引接寺
【解説】
下関は朝鮮通信使の本土最初の寄港地でした。
通信使は対馬・壱岐、相島に立ち寄り、阿弥陀寺前の桟橋に接岸し上陸しました。
室町時代の通信使は50人程度の人員であったため、宿泊場所は阿弥陀寺(現赤間神宮)のみでしたが、江戸時代になると、300~500人規模となったため、阿弥陀寺と引接寺が充てられました。
阿弥陀寺には三使及び上官、引接寺には中官と下官が宿泊し、通信使の案内と警固のために随行した対馬藩主は馴染みの本陣伊藤家、対馬藩士は下関の商家数十軒に分宿しました。
平成13年8月、通信使の歴史と功績を後世に伝えようと、下関商工会議所や山口県日韓親善協会連合会などでつくる建立期成会が、赤間神宮前の阿弥陀寺公園内に碑を建立しました。
石碑には「朝鮮通信使の歴史的な意義を再認識し、一行上陸の当地に記念の石碑を建立、その歴史を恒久的に顕彰しようとする」との建立の趣旨が刻まれています。
関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行
- 関連記事
-
- 下関観光検定049 (2017/07/18)
- 下関観光検定048 (2017/07/17)
- 下関観光検定047 (2017/07/16)
TB: -- CM: 0
17
« 彦島のけしき《江の浦》 | ふるさと散歩548-4 金比羅 »
コメント
Comment
list
コメントの投稿
Comment
form
| h o m e |