彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
豊関ことばについて 8
豊関ことばについて 8
その三 田ノ首ことば
年々失われつつある下関とその近郊のことばの中で、最も惜しいと思われるのは「田ノ首ことば」であろう。
田ノ首は彦島の南端にあって小倉の延命寺と対峙する半農半漁の小さな村であったが、今では林兼造船の第三工場があり、広大な宅地造成などによって大きく拓けようとしている。
もともとこの地は、平家の落人部落だと伝えられ、同じ彦島の中でも閉鎖的で、島内他地区との交流はほとんどなかった所である。
そして、生活圏も門司の大里や小倉、若松のそれに入っていたようで、田ノ首の農家の人たちは、つい三十年前までは、小舟で九州に向かって物売りに出かけていた。
その上、藩制時代のある時期には、彦島のうち田ノ首だけが豊前藩によって支配されていたふしもある。
そのせいかどうかは知らないが、田ノ首ことばには九州弁のニュアンスがあったと惜しむ人も居るくらいである。
私には、田ノ首ことばに九州弁のイメージはダブらないが、しかし、確かに変わった語感があって、それが失われてしまったのが、残念でならない。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
その三 田ノ首ことば
年々失われつつある下関とその近郊のことばの中で、最も惜しいと思われるのは「田ノ首ことば」であろう。
田ノ首は彦島の南端にあって小倉の延命寺と対峙する半農半漁の小さな村であったが、今では林兼造船の第三工場があり、広大な宅地造成などによって大きく拓けようとしている。
もともとこの地は、平家の落人部落だと伝えられ、同じ彦島の中でも閉鎖的で、島内他地区との交流はほとんどなかった所である。
そして、生活圏も門司の大里や小倉、若松のそれに入っていたようで、田ノ首の農家の人たちは、つい三十年前までは、小舟で九州に向かって物売りに出かけていた。
その上、藩制時代のある時期には、彦島のうち田ノ首だけが豊前藩によって支配されていたふしもある。
そのせいかどうかは知らないが、田ノ首ことばには九州弁のニュアンスがあったと惜しむ人も居るくらいである。
私には、田ノ首ことばに九州弁のイメージはダブらないが、しかし、確かに変わった語感があって、それが失われてしまったのが、残念でならない。
冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2021/06/17 Thu. 11:01 [edit]
category: 下関弁辞典
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