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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

豊関ことばについて 12 

豊関ことばについて 12

だから、方言は閉鎖的でありながら、その使われる土地によっては実に開放的で流動性の一面も持っている。

他国との交流の激しかった下関では、前述の諸国の言葉を享受し、その見返りとして下関弁を放出した。
そして、言葉の交流はすなわち文化の交流につながり、民族意識の壁を取り除いていったに違いない。

つまり、方言は、地方文化育成の担い手であり、その土着民の誇りとともに生き続けてきたのであった。
それが、いつの頃からか、都会に出て行く者にとっての劣等意識となり、マスコミなどの影響を受けて、急速に消滅し始めたのである。

国語の乱れが云々される今、方言の見直しも、真剣に取り組む時期に到達していると言えよう。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2021/06/23 Wed. 09:19 [edit]

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豊関ことばについて 11 

豊関ことばについて 11

もっとも、方言とは、その土地、あるいは、その地方に伝わる日常語であっても、地域的な感覚を抜け出て、広く共通する面も持っているようである。

そのような言葉も探せばかなりあるようだが、例えば下関近郊では、下水や溝のことを「ゴートロ」と言う。
東北地方や信州をなどに旅すれば、「川渡」と書いて「ゴート」とか「カード」と読ませる土地が多い。
これらの土地は川の淀みや、二つの川の出合いを抱えているという共通性があって、大きな川を持たない下関では下水や溝がこれに相当する。

だから「ゴートロ」とは「川瀞」と書けば実にふさわしく、その「瀞」というのは。滝に落ちんとしてたたえた静かな水の状態であってみれば、下水を呼ぶになかなか言い得て妙である。

これらの地域を離れた言葉は、北陸、山陰、壱岐、対馬に共通するものが多い。
それは、やはり下関という土地柄、つまり北前船の寄港地であったことと、長州と対州の密接な関係によるもなどが考えられる。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2021/06/22 Tue. 10:05 [edit]

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豊関ことばについて 10 

豊関ことばについて 10

その四 方言の良さ

標準語と方言を比較した場合、言語的に優れているのは「方言」だという。
勿論、方言には言文一致という利点は無いが、土の匂いのするお国ことばには、地方文化を育成し指導してきた誇りが感じられる。
つまり、歴史の古さによる体温である。

言語というものは、その使いこなされた歴史の古さによって、意味するものが複雑化してくる。
だから、一つの言葉であっても、五つも六つも違った意味に使い分けられ、解説なしで通じる便利さがある。
それは標準語にも言えることだが、方言には、あたたかさ、やさしさ、いたわりが加わる。
やはり、言葉としての古さが、連結発音を作り出しているのであろう。

明治以降の軍隊用語は、陸軍が長州言葉で、海軍が薩摩言葉を基調としたものであった。
それはいささか殺伐としていて、ギクシャクした感じが無いでもなかったが、第二次世界大戦の頃には、実に調子よく軍人言葉らしい雰囲気を醸し出していた。
恐らく、長州と薩摩の言葉の古さからくる感じ方であったに違いない。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2021/06/21 Mon. 09:12 [edit]

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豊関ことばについて 9 

豊関ことばについて 9

非常にアクセントの強い言葉で、それでいて、どことなく、雅やかな響きがあった。
その上、田ノ首ことばによる老人たちの会話は、彦島に住んでいる者にさえも通じないことが多かった。

アクセント… その抑揚の激しさは、例えば、驚いた時に発する「オリョリョー」という感嘆詞の一種にも見ることが出来る。

この言葉は、北浦地方に土地の名を折り込んで
「矢玉タアタア、和久チューチュー、湯玉オリョリョー、小串ナッチュマアエエ」
という言葉遊びがあるので、湯玉やその近辺でも使われているはずだが、田ノ首の「オリョリョー」には、まるでソプラノ歌手によるアリアのような響きがあった。

この抑揚ぶりを文字で表現するのは極めてむずかしい。
一字ごとに説明すれば「オォ」と少し下がって「リョ」とやや上がり、次の「リョー」は犬があくびをするように驚きを強調して高く突き放してしまう言い方であった。

今、田ノ首ことばは、殆ど滅びてしまった。
七十歳以上の老人を集めて何時間も好き勝手なことを喋らせれば、案外、なつかしいアクセントの数々と、田ノ首方言が出てくるかもしれないが、テレビによる影響もあって、標準語に慣れてしまった現在では、それもむずかしい話ではないだろうか。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2021/06/18 Fri. 11:50 [edit]

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豊関ことばについて 8 

豊関ことばについて 8

その三 田ノ首ことば

年々失われつつある下関とその近郊のことばの中で、最も惜しいと思われるのは「田ノ首ことば」であろう。

田ノ首は彦島の南端にあって小倉の延命寺と対峙する半農半漁の小さな村であったが、今では林兼造船の第三工場があり、広大な宅地造成などによって大きく拓けようとしている。

もともとこの地は、平家の落人部落だと伝えられ、同じ彦島の中でも閉鎖的で、島内他地区との交流はほとんどなかった所である。
そして、生活圏も門司の大里や小倉、若松のそれに入っていたようで、田ノ首の農家の人たちは、つい三十年前までは、小舟で九州に向かって物売りに出かけていた。
その上、藩制時代のある時期には、彦島のうち田ノ首だけが豊前藩によって支配されていたふしもある。

そのせいかどうかは知らないが、田ノ首ことばには九州弁のニュアンスがあったと惜しむ人も居るくらいである。

私には、田ノ首ことばに九州弁のイメージはダブらないが、しかし、確かに変わった語感があって、それが失われてしまったのが、残念でならない。


冨田義弘著「下関の方言」赤間関書房刊より
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Posted on 2021/06/17 Thu. 11:01 [edit]

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