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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

福笹 

福笹


むかし、小月の里に、八重というきりょうよしで親孝行の娘がいました。
八重の家は、両親と三人ぐらしでしたが、両親は病気ばかりしていて、家事のことから、野良仕事まで、ぜんぶ八重が受け持っていました。

こうした八重の働き振りが気に入られたのか、村の庄屋さんの息子のお嫁にという話が持ち込まれました。
しかし、相手は金持ちの庄屋さん、こちらは貧乏ぐらしの百姓娘、どう考えてもつりあわないと、両親は断りました。
八重にしても、病気ばかりしている両親を、このままおいて、お嫁にいけるわけがありません。
それどころか、少しでもお金をためて、薬を買い両親に早く良くなってもらうため、体を休めるひまもなく働き続けました。

こうして、また新しい年を迎えたお正月のこと。
王喜に住むおじさんが、小月での用事のついでに八重の家に立ち寄りました。
「お八重や、明日は初寅の日だが、いっしょにおまいりにいかんか、毘沙門さまのご利益をもらって今年はいい年にしなければ…」
と、さそいました。そばから母親も、
「ほんとうに、わしが弱いばっかりに、八重に苦労ばかりかけて…、お正月の晴れ着もよう買ってやることもできずに…」
そんな、母親の悲しい気持ちを打ち消すように八重は、
「いいえ、別に初寅だからといっておまいりしなくても、私はここから、いつも毘沙門さまをおがんでいます。おじさん、おまいりされたら、お父さんやお母さんの達者をよくお願いしておいてください」
と、八重は、おじさんや母親に向かって、明るく笑ってみせ、またせっせと藁編みの手を進めるのでした。
「そうか、それじゃ、わしがよう頼んで、かわりに福をもらってきてやろう」
と、おじさんは、親子のかばいあう姿に胸をうたれて、そう言って帰っていきました。

あくる日は、毘沙門天さまのおまつり、おじさんは、おまいりをすませて山をおりてしまってから、ふと八重との約束を思い出しました。
福をもらって帰ってやるといったものの、もうここまできてしまっては、なにをおみやげに持って帰ればいいのか…。
おじさんは、思案しながら歩いていますと、とつぜん“バサッ”という音がしました。おもわずびっくりしてその方を見ると、笹の葉がゆれていて、それは笹の葉に積もっていた雪をはねのけた音だったのです。
「おおそうじゃ、この笹を、毘沙門天さまのおさずかりじゃといっておみやげにしよう」
こういっておじさんは、一枝とって帰りましたが、この笹には見事な葉が五枚ついていました。

「お八重や、いま帰ったぞ。今年はおまいりが多くて、おみやげものはみな売り切れてしまった。こりゃあ四王司山の笹葉だが、これには、毘沙門さまの福がこもっている。まぁ神棚にでもまつっておけ」
といって、おじさんは、きまりわるげにお八重に渡しました。

あくる朝、八重が、神棚をのぞくと、たしかに昨日のせたはずの笹が見当たりません。
おかしいと思いながら、背伸びをして手で探していますと、チャリン、チャリンと音がして、板間に落ちたものがあります。
なんとそれは、キラキラとまぶしい光をはなつ小判でした。
「こりゃ、まぁ」
といったなり、八重はビックリして板間に座り込みましたが、すぐさま両親をよんでみせますと、二人ともワナワナふるえだし、ものを言うこともできません。八重はあわてておじさんを呼びにいきました。

聞いて、おじさんは飛んできましたが、目の前の小判五枚を見て、たまげてしまいました。そして、
「これは、やっぱりお八重の日ごろの信心と、親孝行を知って毘沙門さんがおさずけくださったんじゃ」
と、いいきかせるのでした。

この噂は、たちまち村中にひろまっていきました。
そして、ふたたび庄屋さんから、八重を息子の嫁にもらいたいという話が持ち込まれ、村中の祝福を受けながら、春三月お嫁入りしました。
そしてその後も八重は、ずっと幸せにくらしたということです。


ところで、それからというもの、毘沙門さまのおまつりには、おまいりする誰もが、四王司山の笹葉をもらって帰るようになり、いつか笹葉は、初寅まいりの福の笹として、これに張り子の小さな虎や小判を結びつけ“福飾り”といって売り出されるようになりました。


(注)
初寅まいりの日には、今でもこの“福飾り”がお土産に売られています。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2020/07/09 Thu. 10:46 [edit]

category: 下関の民話

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