彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
引接寺の龍
引接寺の龍
江戸時代の終わりごろの話です。
引接寺の山門を下って出たところは、外浜の浜で、ここは当時山陽道の終着駅として本土から九州へいたる重要な土地でありました。
したがって船番所もあり、旅館もたくさん軒をならべていました。
ある年のことです。
夜中の二時ごろ、引接寺の石段下で通りがかりの旅人が、何者かのために殺されてしまいました。
番所の役人がやっきになって犯人を捜しましたが、とうとう見つかりません。
殺された旅人のふところにはお金が残っており、ものとりの仕業ではないとすると、鬼か大蛇の仕業だという噂がたち、近所の人は危害を恐れて、日暮れともなれば雨戸をしっかりと閉めてしまうありさまです。
それから何度となく同じ時間、同じ場所で人が殺され、土地の人を恐怖のどん底におとしいれました。
そうしたあるとき、船着場の旅館に泊まっていた侍が、女中からその話を聞かされました。
侍は、みるからに強そうな男で、その話を聞くと
「それはおもしろそうじゃのう。よし、拙者がひとつ退治してやろうかのぅ…」
「おやめくだされ、めっそうもない。いくらあなたが強くても、相手は正体もわからぬ怪物…、殺されにいくだけですよ」
「まあそう心配するな」
と侍は、女中から着物を借り、夜中の一時過ぎから怪物退治にでかけました。
いつも怪物が現れるという、午前二時の丑の刻が迫ってきました。
大胆なその侍は、わざと怪物に目立つように女中から借りた着物を頭からかぶり、石段下の広場に立ちました。
やがて生ぬるい風がどこからともなく吹き、シャー、シャーという音がしてきました。
そすがの侍も少し緊張して、刀の柄に手をかけ、いつでも抜けるかまえをとりました。
そのときです。
パッと黒い大きなものが侍めがけて襲ってきました。
侍はとっさに腰をひねると、目にもとまらぬ早業で刀を抜き、怪物めがけて切りつけました。
確かに手ごたえがあったとみえ、熱気の中にものすごいうめき声が聞こえました。
侍はさらに二振り目をおろそうとしましたが、しかしその時にはすでに怪物の姿は見えませんでした。
あくる朝早く、侍がお寺の下の広場に来てみると、黒々と流れている血筋が、お寺の方に向かって石段をはいあがっています。
その血の跡をたどっていくと、ちょうど山門の下で消えて…
不思議に思って、ふと山門の天井を見上げると、そこに彫り込んである龍の胴体が真っ二つに割れているではありませんか…。
毎夜人を殺していた怪物は、実はこの龍であったということが、これではっきりわかりました。
(注)
戦災で引接寺は焼けましたが、山門だけは今でも昔のままの姿で残っています。
そして龍は真っ二つになった胴体を山門の天井に巻きつけています。
昔からこの龍は、喉が渇くとよく用水に飲みに出るといわれたくらい、彫刻は非常に立派で、一部の人はこの彫刻を江戸時代の名工左甚五郎の作といっていますが本当のことはわかりません。
その真っ二つになった切り口も、実は二つの木を継ぎ合わせたものですが、あまりに立派な龍の彫刻なので、このような伝説ができたのでしょう。
『下関の民話』下関教育委員会編
江戸時代の終わりごろの話です。
引接寺の山門を下って出たところは、外浜の浜で、ここは当時山陽道の終着駅として本土から九州へいたる重要な土地でありました。
したがって船番所もあり、旅館もたくさん軒をならべていました。
ある年のことです。
夜中の二時ごろ、引接寺の石段下で通りがかりの旅人が、何者かのために殺されてしまいました。
番所の役人がやっきになって犯人を捜しましたが、とうとう見つかりません。
殺された旅人のふところにはお金が残っており、ものとりの仕業ではないとすると、鬼か大蛇の仕業だという噂がたち、近所の人は危害を恐れて、日暮れともなれば雨戸をしっかりと閉めてしまうありさまです。
それから何度となく同じ時間、同じ場所で人が殺され、土地の人を恐怖のどん底におとしいれました。
そうしたあるとき、船着場の旅館に泊まっていた侍が、女中からその話を聞かされました。
侍は、みるからに強そうな男で、その話を聞くと
「それはおもしろそうじゃのう。よし、拙者がひとつ退治してやろうかのぅ…」
「おやめくだされ、めっそうもない。いくらあなたが強くても、相手は正体もわからぬ怪物…、殺されにいくだけですよ」
「まあそう心配するな」
と侍は、女中から着物を借り、夜中の一時過ぎから怪物退治にでかけました。
いつも怪物が現れるという、午前二時の丑の刻が迫ってきました。
大胆なその侍は、わざと怪物に目立つように女中から借りた着物を頭からかぶり、石段下の広場に立ちました。
やがて生ぬるい風がどこからともなく吹き、シャー、シャーという音がしてきました。
そすがの侍も少し緊張して、刀の柄に手をかけ、いつでも抜けるかまえをとりました。
そのときです。
パッと黒い大きなものが侍めがけて襲ってきました。
侍はとっさに腰をひねると、目にもとまらぬ早業で刀を抜き、怪物めがけて切りつけました。
確かに手ごたえがあったとみえ、熱気の中にものすごいうめき声が聞こえました。
侍はさらに二振り目をおろそうとしましたが、しかしその時にはすでに怪物の姿は見えませんでした。
あくる朝早く、侍がお寺の下の広場に来てみると、黒々と流れている血筋が、お寺の方に向かって石段をはいあがっています。
その血の跡をたどっていくと、ちょうど山門の下で消えて…
不思議に思って、ふと山門の天井を見上げると、そこに彫り込んである龍の胴体が真っ二つに割れているではありませんか…。
毎夜人を殺していた怪物は、実はこの龍であったということが、これではっきりわかりました。
(注)
戦災で引接寺は焼けましたが、山門だけは今でも昔のままの姿で残っています。
そして龍は真っ二つになった胴体を山門の天井に巻きつけています。
昔からこの龍は、喉が渇くとよく用水に飲みに出るといわれたくらい、彫刻は非常に立派で、一部の人はこの彫刻を江戸時代の名工左甚五郎の作といっていますが本当のことはわかりません。
その真っ二つになった切り口も、実は二つの木を継ぎ合わせたものですが、あまりに立派な龍の彫刻なので、このような伝説ができたのでしょう。
『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2020/05/18 Mon. 09:13 [edit]
category: 下関の民話
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