彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
青山の馬姫
青山の馬姫
勝山にある青山は、むかし篠と蓬におおわれた草山でした。
村人たちは、毎年冬の終わりに野焼きをしますが、こうすると春になって若草が元気よく伸びだし、またたくまに山全体を緑でつつむようになります。
そして、この若草を牛や馬の飼料にするため、形山村の若者たちは、毎朝早くから草刈に登りました。
そして、お昼のにぎりめいを食べ終わると、やわらかい草の上に寝そべり、村のおもしろい話や、そこから見える豊前や門司の町の様子などを楽しそうに話しました。
しかし一人だけ、みんなから離れて、まだにぎりめしをほうばっている若者がいました。
この若者はよその国から流れてきて、下男として働いている茂作という男でした。
茂作は体が大きく働き者でしたが、気が小さく動作がのろいので、いつもみんなから馬鹿にされ“モッソリ”というあだ名で呼ばれていました。
ある日の朝、まだ空に星が消えないころに目を覚ました茂作は、馬小屋から孫太郎を引き出して青山に登りました。
もちろん、誰も来ていません。さっそく茂作は草刈をはじめました。
やがて茂作の背から、真っ赤なお日様がのぼりはじめるころ、馬の背には、もうほとんどいっぱいに草が積まれていました。
それからしばらくして、茂作は自分の背にもいっぱいの草を背負い、山をおりはじめたのです。
ちょうどその時です。
村では評判の美しくて気立ての良いお登代が目の前に立っていました。
お登代は、働き者の茂作に密かに思いを寄せていましたから、今朝早く山へ登っていく茂作を見て、登代はみんなより先に山に登ってきたのです。
「茂作さん、おはよう…」
と、あいさつをしましたが、茂作は日ごろ村人に道に出会っても、ものを言うことができない“ヨソ者”それに、だれもいない山中のことで、驚きと恥ずかしさで、何も言わず大急ぎで孫太郎にムチをあて山をおりはじめました。
しかし孫太郎は、背負った草の重さと急な山道ではどうすることもできず、足を踏み外して崖から落ち、かわいそうに死んでしまいました。
茂作は呆然としていました。
大事な馬を殺しては主人からどんな仕打ちをうけるか知れません。
孫太郎が落ちた崖に座って、ぼんやり考え込んでいました。登代も茂作のそばに座り、何度もなぐさめますが、茂作にはいっこう聞こえるふうではありません。
やがて下のほうから登ってくる若者たちの姿に気がつかなければ、茂作はいつまでもぼんやりそこに座っていました。
若者たちの賑やかな声が近づいてきました。
茂作は、ハッとして大急ぎで山をおりはじめました。若者たちは、駆け下りていく茂作を見て、
「おーう、モッソリ。なにを急いでいるのだ。もちっと、モッソリ、モッソリ歩かんかい」
と、冷やかしました。
しかし、若者たちは、そこにお登代の姿を見つけて急にだまってしまいました。
それは、お登代の美しい目に、涙がいまにもこぼれそうにあふれていたからです。
茂作は、だれにも知られずに村を去りました。
お登代も“ヨソ者”の茂作が好きだったことが、村人たちの噂にのぼることを恐れ、青山から身を投げて死んでしまいました。
そのお登代の霊は、馬に生まれ変わり“青山の馬姫”として、村人たちは不思議な馬を見るようになりました。
ところが“青山の馬姫”のいななきを、ほかの馬が聞いてなくと、必ずその馬は死んでしまいます。
そこで村の人は、青山の馬姫のいななきを、自分の馬に聞かすまいと、馬の耳にたくさんの鈴をつけて野にでるようになったということです。
(注)
茂作の引いていた足を踏み外した岩は、今は馬不越(うまこえず)の岩と語りつたえられています。
『下関の民話』下関教育委員会編
勝山にある青山は、むかし篠と蓬におおわれた草山でした。
村人たちは、毎年冬の終わりに野焼きをしますが、こうすると春になって若草が元気よく伸びだし、またたくまに山全体を緑でつつむようになります。
そして、この若草を牛や馬の飼料にするため、形山村の若者たちは、毎朝早くから草刈に登りました。
そして、お昼のにぎりめいを食べ終わると、やわらかい草の上に寝そべり、村のおもしろい話や、そこから見える豊前や門司の町の様子などを楽しそうに話しました。
しかし一人だけ、みんなから離れて、まだにぎりめしをほうばっている若者がいました。
この若者はよその国から流れてきて、下男として働いている茂作という男でした。
茂作は体が大きく働き者でしたが、気が小さく動作がのろいので、いつもみんなから馬鹿にされ“モッソリ”というあだ名で呼ばれていました。
ある日の朝、まだ空に星が消えないころに目を覚ました茂作は、馬小屋から孫太郎を引き出して青山に登りました。
もちろん、誰も来ていません。さっそく茂作は草刈をはじめました。
やがて茂作の背から、真っ赤なお日様がのぼりはじめるころ、馬の背には、もうほとんどいっぱいに草が積まれていました。
それからしばらくして、茂作は自分の背にもいっぱいの草を背負い、山をおりはじめたのです。
ちょうどその時です。
村では評判の美しくて気立ての良いお登代が目の前に立っていました。
お登代は、働き者の茂作に密かに思いを寄せていましたから、今朝早く山へ登っていく茂作を見て、登代はみんなより先に山に登ってきたのです。
「茂作さん、おはよう…」
と、あいさつをしましたが、茂作は日ごろ村人に道に出会っても、ものを言うことができない“ヨソ者”それに、だれもいない山中のことで、驚きと恥ずかしさで、何も言わず大急ぎで孫太郎にムチをあて山をおりはじめました。
しかし孫太郎は、背負った草の重さと急な山道ではどうすることもできず、足を踏み外して崖から落ち、かわいそうに死んでしまいました。
茂作は呆然としていました。
大事な馬を殺しては主人からどんな仕打ちをうけるか知れません。
孫太郎が落ちた崖に座って、ぼんやり考え込んでいました。登代も茂作のそばに座り、何度もなぐさめますが、茂作にはいっこう聞こえるふうではありません。
やがて下のほうから登ってくる若者たちの姿に気がつかなければ、茂作はいつまでもぼんやりそこに座っていました。
若者たちの賑やかな声が近づいてきました。
茂作は、ハッとして大急ぎで山をおりはじめました。若者たちは、駆け下りていく茂作を見て、
「おーう、モッソリ。なにを急いでいるのだ。もちっと、モッソリ、モッソリ歩かんかい」
と、冷やかしました。
しかし、若者たちは、そこにお登代の姿を見つけて急にだまってしまいました。
それは、お登代の美しい目に、涙がいまにもこぼれそうにあふれていたからです。
茂作は、だれにも知られずに村を去りました。
お登代も“ヨソ者”の茂作が好きだったことが、村人たちの噂にのぼることを恐れ、青山から身を投げて死んでしまいました。
そのお登代の霊は、馬に生まれ変わり“青山の馬姫”として、村人たちは不思議な馬を見るようになりました。
ところが“青山の馬姫”のいななきを、ほかの馬が聞いてなくと、必ずその馬は死んでしまいます。
そこで村の人は、青山の馬姫のいななきを、自分の馬に聞かすまいと、馬の耳にたくさんの鈴をつけて野にでるようになったということです。
(注)
茂作の引いていた足を踏み外した岩は、今は馬不越(うまこえず)の岩と語りつたえられています。
『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2020/05/14 Thu. 10:31 [edit]
category: 下関の民話
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