彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
蟹島
蟹島
むかし、むかし、大むかし、下関の火ノ山は、その名の通り、火を噴く火山であった。
ある年、火ノ山が大爆発を起こした。そして噴き上げられた熔岩は、響灘へと流れ込んだ。
そのころ、響灘には大群のカニが棲んでいたが、その大半は身を挺して熔岩をせき止め、残る半分は、懸命に鋏み止めたという。
この時の何千億というカニの死骸は山となって、一つの島が出来た。
それが、響灘に浮かぶ『蟹島』で、空からこの島を見ると、今でも、カニそっくりであるという。
そしてこの島には、北の浜に『蟹の背』という瀬があり、森の中には『蟹の目』と呼ばれる所が残っているが、昔からこの島の人びとは、絶対にカニを食べなかったという。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
むかし、むかし、大むかし、下関の火ノ山は、その名の通り、火を噴く火山であった。
ある年、火ノ山が大爆発を起こした。そして噴き上げられた熔岩は、響灘へと流れ込んだ。
そのころ、響灘には大群のカニが棲んでいたが、その大半は身を挺して熔岩をせき止め、残る半分は、懸命に鋏み止めたという。
この時の何千億というカニの死骸は山となって、一つの島が出来た。
それが、響灘に浮かぶ『蟹島』で、空からこの島を見ると、今でも、カニそっくりであるという。
そしてこの島には、北の浜に『蟹の背』という瀬があり、森の中には『蟹の目』と呼ばれる所が残っているが、昔からこの島の人びとは、絶対にカニを食べなかったという。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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- 蟹島 (2020/03/31)
- 舟島怪談 貝のうらみ (2020/03/30)
Posted on 2020/03/31 Tue. 09:07 [edit]
category: ひこしま昔ばなし
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31
舟島怪談 貝のうらみ
舟島怪談 貝のうらみ
むかし、舟島に若者がたった一人で住んでいました。若者は、島のまわりで仰山とれる貝を売って、その日その日を暮らしていました。このあたりでは、浅利、蛤、馬刀貝はもちろんのこと、一尺四方もある帆立貝や、面白い形をしたコウボ貝にツウボ貝なども鍬を打ち込んだだけで、ざくざく採れました。
ある夏の夕凪ぎのひどい夜でした。
じっとり汗ばむ寝苦しさに悶々としていると、トントンと裏戸を叩く者が居ます。
『こんな夜更けに、一体誰だろう』
眼をこすりながら出てみると、十七、八の美しい娘が立っていました。
『夜分おそく、すみません。でも、ちょっとお話があるんですけど、入れていただけませんでしょうか』
娘はうつむいて言いました。若者は、その美しさに魅せられて、何を言われたのかも解らず、しばらくぽかーんとしていましたが、ふと我に返って奥に通しました。
『一体…… 今頃…… あなたは…… 来たんでしょ……いや、どこから来たんでしょうか』
若者は、しどろもどろに訊ねました。しかし、娘は、畳に三つ指をついたまま、黙って答えません。何を話して良いか判らず、若者は戸惑って、おろおろするばかりでした。
例年にない蒸し暑さのせいだけでなく、ひたいにも背中にも、じわーっと汗が吹き出してきます。二人は黙ったまま、しんしんと更けてゆく夜の音を感じていました。
と、娘が、はずかしそうに顔をあげ、小さな声で、それでもはっきりとこう言いました。
『私を、あなたのお嫁にして下さい』
仰天する、というのは、この時の若者の驚き振りを言うのでしょう。彼は、目の前の、夜目にも白く美しい娘の顔をぼんやり見つめながら、口をもぐもぐとさせるばかりでした。
闇のむこうで、娘はにっこり笑いました。そして、頬を紅潮させながら、そっと寄りかかってきました。娘の甘い香りが二人をあたたかく包んで、若者は病人のように力なく手をのばして、その肩を抱きました。
それからのことは覚えていません。何か恐ろしいような、嬉しいような、そんないぶかりの中に、天にも昇るような喜びがあったような気がします。
そして、いつのまにか、若者は眠っていました。
あくる朝、ふと眼をさますと、昨夜の娘はどこにも居ません。家の中も、いつもと変ったところはなく、
『ゆっぱり、あれは夢だったのか』
と、がっかりしました。でも、まぶしい朝の光を仰ぐと、若者は急に元気を取り戻し、いつものように漁に出かけました。
夜になりました。若者は早くやすんで、昨夜の夢のつづきを見ようと、寝床に入りました。寝苦しい夜で、汗ばむ体をもとあましながら、何度も寝返りを打ちました。それでも、昼間の疲れがどっと出てきて、いつのまにかウトウトしかけていました。
何か音がしたような気がして、若者は眼をさましました。耳をすましていると、裏戸を小さくトントンと叩く者が居ます。心をはずませ外に出てみると、昨夜の娘が眼を伏せて立っていました。
『ああ、あなたは… 夢ではなかったんですね』
若者は娘の手をとり、喜びを満面に溢れさせて、奥に引き入れました。
そんなことが毎晩つづき、夜の明けないうちに、娘はどこへともなく帰って行きます。娘が一体、どこからやって来るのか、そしてその名前さえも若者は知らないままでした。
それに気がついたのは、お盆が過ぎて秋風の立ち始めたころです。ある夜、若者は、いつものような甘い語らいのあとで、娘の素性を訊ねました。
すると娘は、はじかれたように後ずさり、若者の顔をじっと見つめて、しばらくは黙ったままでした。やがて娘は、か細い声で言いました。
『私が、どこから来て、どこへ帰ってゆくのか、何も聞かないでください。それを話してしまえば、私はもう、ここへは来られなくなります。それが悲しくて…』
そう言って娘は泣きくずれました。何度もしゃくりふげるその肩をやさしく撫でながら若者は、娘をいとしく思いはじめていました。
それからというもの、若者は何も訊ねず、ひたすら夜を待ち、楽しいひとときを過ごすことに没頭しました。
秋が過ぎ、厳しい冬になりました。もう近頃では漁に出ることもなく、昼間は夜のつづきの夢を見て、若者はのらりくらりと生きるようになっていました。その上、娘に精を吸い取られてしまったのか、次第にやせ細ってゆくようでした。
みぞれの降るある夜、若者はとうとう体をこわして寝込んでしまう羽目になりました。それでも娘はトントンと裏戸を叩き、すーっと入って来て、若者の枕辺に座りました。そして、いつものように眼をふせたまま、そっとにじり寄って来るのです。
『今夜は、もう駄目だ。しばらく、そっとしておいてくれ。そのうちまた元気を取り戻すから』
さすがの若者も力無く、そう言って眼をつぶりました。
すると娘は、にっこり笑って勝ち誇ったように口を開きました。
『今だから申しましょう。私は、この浜に住むツウボ貝です。私には末を契ったコウボ貝が居ました。いつも私たちは、仲良く波乗りをしたり、砂にもぐったり、潮のかけっこをしたりして楽しく暮らしていました。ところが、夏が近づいたあの日、そう、あの霧雨の降る夕方です。あなたは私の大事なひとを鍬で叩き殺してしまいました。私は、その仇を討つために…』
そこまで言って、娘は、また笑いました。しかし、その笑顔は、口元だけが少し動く程度の、ぞっとするような冷たさがあったといいます。そして、声までが老婆のようにしわがれて低く、若者のはらわたをえぐるように響きました。
『私は、その仇を討つために、夜毎、あなたのもとに通って来たのです。あなたは、日に日に、やせおとろえてきました。でも、まだ当分は死にません。このまま動くことも出来ず、死ぬことも出来ず、しばらくの間、苦しみを味わうことです。それでもまだ私の恨みは晴れませんが、私も、もう力つきてしまいました。だから…』
酒に酔ってでもいるように、娘はゆっくり立ち上がりました。その眼には二筋の涙が、暗がりの中にもはっきりと見えたそうです。
『だから、海へ戻って、いとしい方のそばへ参ります』
そう言い終えると、すーっと娘の姿はかき消えました。
それから何ヶ月もの永い間、若者は寝たままで生きつづけました。
『ツウボ貝も、コウボ貝も、俺は、あんまり採りすぎた。知らなんだ、知らなんだ。ツウボ貝も、コウボ貝も…』
朝も、昼も、夜も、毎日毎日、若者は、そんなウワゴトを言いつづけ、そして飢え死んだということです。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
むかし、舟島に若者がたった一人で住んでいました。若者は、島のまわりで仰山とれる貝を売って、その日その日を暮らしていました。このあたりでは、浅利、蛤、馬刀貝はもちろんのこと、一尺四方もある帆立貝や、面白い形をしたコウボ貝にツウボ貝なども鍬を打ち込んだだけで、ざくざく採れました。
ある夏の夕凪ぎのひどい夜でした。
じっとり汗ばむ寝苦しさに悶々としていると、トントンと裏戸を叩く者が居ます。
『こんな夜更けに、一体誰だろう』
眼をこすりながら出てみると、十七、八の美しい娘が立っていました。
『夜分おそく、すみません。でも、ちょっとお話があるんですけど、入れていただけませんでしょうか』
娘はうつむいて言いました。若者は、その美しさに魅せられて、何を言われたのかも解らず、しばらくぽかーんとしていましたが、ふと我に返って奥に通しました。
『一体…… 今頃…… あなたは…… 来たんでしょ……いや、どこから来たんでしょうか』
若者は、しどろもどろに訊ねました。しかし、娘は、畳に三つ指をついたまま、黙って答えません。何を話して良いか判らず、若者は戸惑って、おろおろするばかりでした。
例年にない蒸し暑さのせいだけでなく、ひたいにも背中にも、じわーっと汗が吹き出してきます。二人は黙ったまま、しんしんと更けてゆく夜の音を感じていました。
と、娘が、はずかしそうに顔をあげ、小さな声で、それでもはっきりとこう言いました。
『私を、あなたのお嫁にして下さい』
仰天する、というのは、この時の若者の驚き振りを言うのでしょう。彼は、目の前の、夜目にも白く美しい娘の顔をぼんやり見つめながら、口をもぐもぐとさせるばかりでした。
闇のむこうで、娘はにっこり笑いました。そして、頬を紅潮させながら、そっと寄りかかってきました。娘の甘い香りが二人をあたたかく包んで、若者は病人のように力なく手をのばして、その肩を抱きました。
それからのことは覚えていません。何か恐ろしいような、嬉しいような、そんないぶかりの中に、天にも昇るような喜びがあったような気がします。
そして、いつのまにか、若者は眠っていました。
あくる朝、ふと眼をさますと、昨夜の娘はどこにも居ません。家の中も、いつもと変ったところはなく、
『ゆっぱり、あれは夢だったのか』
と、がっかりしました。でも、まぶしい朝の光を仰ぐと、若者は急に元気を取り戻し、いつものように漁に出かけました。
夜になりました。若者は早くやすんで、昨夜の夢のつづきを見ようと、寝床に入りました。寝苦しい夜で、汗ばむ体をもとあましながら、何度も寝返りを打ちました。それでも、昼間の疲れがどっと出てきて、いつのまにかウトウトしかけていました。
何か音がしたような気がして、若者は眼をさましました。耳をすましていると、裏戸を小さくトントンと叩く者が居ます。心をはずませ外に出てみると、昨夜の娘が眼を伏せて立っていました。
『ああ、あなたは… 夢ではなかったんですね』
若者は娘の手をとり、喜びを満面に溢れさせて、奥に引き入れました。
そんなことが毎晩つづき、夜の明けないうちに、娘はどこへともなく帰って行きます。娘が一体、どこからやって来るのか、そしてその名前さえも若者は知らないままでした。
それに気がついたのは、お盆が過ぎて秋風の立ち始めたころです。ある夜、若者は、いつものような甘い語らいのあとで、娘の素性を訊ねました。
すると娘は、はじかれたように後ずさり、若者の顔をじっと見つめて、しばらくは黙ったままでした。やがて娘は、か細い声で言いました。
『私が、どこから来て、どこへ帰ってゆくのか、何も聞かないでください。それを話してしまえば、私はもう、ここへは来られなくなります。それが悲しくて…』
そう言って娘は泣きくずれました。何度もしゃくりふげるその肩をやさしく撫でながら若者は、娘をいとしく思いはじめていました。
それからというもの、若者は何も訊ねず、ひたすら夜を待ち、楽しいひとときを過ごすことに没頭しました。
秋が過ぎ、厳しい冬になりました。もう近頃では漁に出ることもなく、昼間は夜のつづきの夢を見て、若者はのらりくらりと生きるようになっていました。その上、娘に精を吸い取られてしまったのか、次第にやせ細ってゆくようでした。
みぞれの降るある夜、若者はとうとう体をこわして寝込んでしまう羽目になりました。それでも娘はトントンと裏戸を叩き、すーっと入って来て、若者の枕辺に座りました。そして、いつものように眼をふせたまま、そっとにじり寄って来るのです。
『今夜は、もう駄目だ。しばらく、そっとしておいてくれ。そのうちまた元気を取り戻すから』
さすがの若者も力無く、そう言って眼をつぶりました。
すると娘は、にっこり笑って勝ち誇ったように口を開きました。
『今だから申しましょう。私は、この浜に住むツウボ貝です。私には末を契ったコウボ貝が居ました。いつも私たちは、仲良く波乗りをしたり、砂にもぐったり、潮のかけっこをしたりして楽しく暮らしていました。ところが、夏が近づいたあの日、そう、あの霧雨の降る夕方です。あなたは私の大事なひとを鍬で叩き殺してしまいました。私は、その仇を討つために…』
そこまで言って、娘は、また笑いました。しかし、その笑顔は、口元だけが少し動く程度の、ぞっとするような冷たさがあったといいます。そして、声までが老婆のようにしわがれて低く、若者のはらわたをえぐるように響きました。
『私は、その仇を討つために、夜毎、あなたのもとに通って来たのです。あなたは、日に日に、やせおとろえてきました。でも、まだ当分は死にません。このまま動くことも出来ず、死ぬことも出来ず、しばらくの間、苦しみを味わうことです。それでもまだ私の恨みは晴れませんが、私も、もう力つきてしまいました。だから…』
酒に酔ってでもいるように、娘はゆっくり立ち上がりました。その眼には二筋の涙が、暗がりの中にもはっきりと見えたそうです。
『だから、海へ戻って、いとしい方のそばへ参ります』
そう言い終えると、すーっと娘の姿はかき消えました。
それから何ヶ月もの永い間、若者は寝たままで生きつづけました。
『ツウボ貝も、コウボ貝も、俺は、あんまり採りすぎた。知らなんだ、知らなんだ。ツウボ貝も、コウボ貝も…』
朝も、昼も、夜も、毎日毎日、若者は、そんなウワゴトを言いつづけ、そして飢え死んだということです。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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Posted on 2020/03/30 Mon. 09:28 [edit]
category: ひこしま昔ばなし
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30
金の蔓
金の蔓
むかし、田ノ首の岬の上に、大きな金の蔓が生えていて、朝夕さんぜんと輝いていた。
里びとはもちろんのこと、ここらを航海する舟びとも、この不思議な現象に心うたれて、誰も取る者はいなかったが、ある日のこと、欲の深いマドロスが、ひそかにこの金の蔓を根元から引き抜き、船に積んで出航した。
すると、たちまち大風が起こり、船はそのすぐ近くにある鳴瀬の暗礁に打ち上げ、木っ端微塵に砕けて、マドロスたちは、一人残らず激流にのまれて死んだ。
そのため、この不思議な金の蔓は、永久に姿を消したが『金のツル岬』と呼ばれて、名前だけは残された。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
むかし、田ノ首の岬の上に、大きな金の蔓が生えていて、朝夕さんぜんと輝いていた。
里びとはもちろんのこと、ここらを航海する舟びとも、この不思議な現象に心うたれて、誰も取る者はいなかったが、ある日のこと、欲の深いマドロスが、ひそかにこの金の蔓を根元から引き抜き、船に積んで出航した。
すると、たちまち大風が起こり、船はそのすぐ近くにある鳴瀬の暗礁に打ち上げ、木っ端微塵に砕けて、マドロスたちは、一人残らず激流にのまれて死んだ。
そのため、この不思議な金の蔓は、永久に姿を消したが『金のツル岬』と呼ばれて、名前だけは残された。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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- 七里七浦七えびす (2020/03/28)
Posted on 2020/03/29 Sun. 10:37 [edit]
category: ひこしま昔ばなし
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29
七里七浦七えびす
七里七浦七えびす
島は 七島
回れば 七里
七里 七浦 七恵比寿
古くから『彦島謡』の一節に、こんな文句がある。
むかし、平家全盛のころ、平清盛は、平家の祈願所を設けるために、全国に『七里七浦』の地を探させた。それは、七という数字が縁起のいい数だからで、家来たちは全国津々浦々、くまなく探しまわり、結局残ったのが、長門の彦島と安芸の宮島の二カ所になった。
しかし、彦島は、七浦だけは揃っていたが周囲を測ってみると六里十五町五十一間(約25.3キロメートル)で、七里に少しばかり足りなかった。
そのため、平家の祈願所は、安芸の宮島に取られてしまったが、そのくやしさを、彦島の人びとは『島は七島、七えびす』と、うたったという。
ところで、『七えびす』というのは、次の七づくしのことだそうだ。
◎七島
引島 彦島本島
舟島 巌流島、船島とも書く
舞子島 西山の泊まりの沖にあった島
城ノ島 舞子島の西寄りの島、城ノ子嶋ともいう
間横島 西山の獅子ケ口の沖にあったという島
竹ノ子島 竹ノ子島
伝馬島 福浦湾の海賊島(リンゴ山ともいう)
◎七浦
天ノ浦 海士郷
江合ノ浦 江ノ浦
小福浦 福浦
百ノ浦 荒田の南の浜 桃の浦とも書く
宮ノ浦 彦島八幡宮前の浜(三井東圧構内)
伊佐木浦 西山の伊佐武田の浜、伊佐野浦とも書く
鯉ノ浦 西山の伊無田の浜 恋の浦とも書く
◎七崎
浦辺崎 海士郷の小戸寄り
鉾崎 ホーサキ 本村の林兼造船第二工場付近
鎌崎 江ノ浦桟橋通りバス停付近
鋤崎 スキザキ 彦島中学と福浦口との中間 塩谷の辺り
硴崎 カケザキ 福浦の東隅
佐々崎 ササザキ 荒田
長崎 長崎町(本村七丁目)の変電所付近
◎七鬼
鬼ヶ島 竹ノ子島の北半分
鬼穴 西山の手トリガンス
鬼先 西山の泊まりの浜 鬼崎とも書く
鬼山 西山瀬戸の浜の丸山
鬼番屋 西山丸山の眼鏡岩
鬼ノ瀬 西山獅子ヶ口の瀬
鬼岩 南風泊の蛸岩
◎七海賊
海賊島 福浦湾の伝馬島 別に龍宮島ともいい現在は塩浜と陸続きになってリンゴ山
海賊谷 塩浜の大山の麓 清水谷
海賊泊り 塩浜の大山の北麓(福浦のカケザキにもあったという)
海賊屋敷 福浦金比羅山の裏側
海賊板 田の首の俎瀬
海賊ノ瀬 田の首の鳴瀬
海賊堤 田の首の雁谷迫の堤
◎七堤
里堤 迫のトンダの堤(彦島有料道路の下)
小迫堤 迫から佐々崎に通じる山中の堤
名合浦堤 里から本村百段に通じる山中にあった用水池
藤ヶ迫堤 老ノ山の第一高校の下にあったが今は無い
鎌崎堤 江の浦桜町(五丁目)の地蔵坂にあった堤
杉田堤 杉田の三菱造船アパートが建っている所にあった鯉の巣の堤
塩谷堤 彦島中学から福浦口へ至る中ほどにあった堤
◎七瀬
栄螺瀬 サザエノセ 西山の西海岸
獅子ヶ口瀬 西山の突端
俵瀬 江の裏鎌崎の沖
沖ノ洲瀬 現在の大和町が埋め立て以前港であったころの羽根石一帯の瀬
中州の瀬 巌流島の沖の瀬
死の瀬 弟子待沖の与治兵衛ヶ瀬
仏の瀬 小戸の身投げ岩付近の瀬
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
島は 七島
回れば 七里
七里 七浦 七恵比寿
古くから『彦島謡』の一節に、こんな文句がある。
むかし、平家全盛のころ、平清盛は、平家の祈願所を設けるために、全国に『七里七浦』の地を探させた。それは、七という数字が縁起のいい数だからで、家来たちは全国津々浦々、くまなく探しまわり、結局残ったのが、長門の彦島と安芸の宮島の二カ所になった。
しかし、彦島は、七浦だけは揃っていたが周囲を測ってみると六里十五町五十一間(約25.3キロメートル)で、七里に少しばかり足りなかった。
そのため、平家の祈願所は、安芸の宮島に取られてしまったが、そのくやしさを、彦島の人びとは『島は七島、七えびす』と、うたったという。
ところで、『七えびす』というのは、次の七づくしのことだそうだ。
◎七島
引島 彦島本島
舟島 巌流島、船島とも書く
舞子島 西山の泊まりの沖にあった島
城ノ島 舞子島の西寄りの島、城ノ子嶋ともいう
間横島 西山の獅子ケ口の沖にあったという島
竹ノ子島 竹ノ子島
伝馬島 福浦湾の海賊島(リンゴ山ともいう)
◎七浦
天ノ浦 海士郷
江合ノ浦 江ノ浦
小福浦 福浦
百ノ浦 荒田の南の浜 桃の浦とも書く
宮ノ浦 彦島八幡宮前の浜(三井東圧構内)
伊佐木浦 西山の伊佐武田の浜、伊佐野浦とも書く
鯉ノ浦 西山の伊無田の浜 恋の浦とも書く
◎七崎
浦辺崎 海士郷の小戸寄り
鉾崎 ホーサキ 本村の林兼造船第二工場付近
鎌崎 江ノ浦桟橋通りバス停付近
鋤崎 スキザキ 彦島中学と福浦口との中間 塩谷の辺り
硴崎 カケザキ 福浦の東隅
佐々崎 ササザキ 荒田
長崎 長崎町(本村七丁目)の変電所付近
◎七鬼
鬼ヶ島 竹ノ子島の北半分
鬼穴 西山の手トリガンス
鬼先 西山の泊まりの浜 鬼崎とも書く
鬼山 西山瀬戸の浜の丸山
鬼番屋 西山丸山の眼鏡岩
鬼ノ瀬 西山獅子ヶ口の瀬
鬼岩 南風泊の蛸岩
◎七海賊
海賊島 福浦湾の伝馬島 別に龍宮島ともいい現在は塩浜と陸続きになってリンゴ山
海賊谷 塩浜の大山の麓 清水谷
海賊泊り 塩浜の大山の北麓(福浦のカケザキにもあったという)
海賊屋敷 福浦金比羅山の裏側
海賊板 田の首の俎瀬
海賊ノ瀬 田の首の鳴瀬
海賊堤 田の首の雁谷迫の堤
◎七堤
里堤 迫のトンダの堤(彦島有料道路の下)
小迫堤 迫から佐々崎に通じる山中の堤
名合浦堤 里から本村百段に通じる山中にあった用水池
藤ヶ迫堤 老ノ山の第一高校の下にあったが今は無い
鎌崎堤 江の浦桜町(五丁目)の地蔵坂にあった堤
杉田堤 杉田の三菱造船アパートが建っている所にあった鯉の巣の堤
塩谷堤 彦島中学から福浦口へ至る中ほどにあった堤
◎七瀬
栄螺瀬 サザエノセ 西山の西海岸
獅子ヶ口瀬 西山の突端
俵瀬 江の裏鎌崎の沖
沖ノ洲瀬 現在の大和町が埋め立て以前港であったころの羽根石一帯の瀬
中州の瀬 巌流島の沖の瀬
死の瀬 弟子待沖の与治兵衛ヶ瀬
仏の瀬 小戸の身投げ岩付近の瀬
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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- 七里七浦七えびす (2020/03/28)
- 左眼が細い (2020/03/26)
Posted on 2020/03/28 Sat. 09:01 [edit]
category: ひこしま昔ばなし
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28
左眼が細い
左眼が細い
今から八百年も昔の話。
ある秋風の身に沁む夕刻、里の西南の海から、一筋の光が立ちのぼっているのを漁師が見つけた。漁師は早速、島の人びとに知らせ、人びとは河野通次にも報告した。
大急ぎで駆けつけた通次は、矛を片手に海中に飛び込み、光を指して泳いだ。そして、その中ほどに矛を突きさすと、八幡尊像があがって来た。尊像の背面には、河野八幡、と刻まれていたが、いたわしいことに、矛は尊像の左眼を貫いていた。
さっそく通次は舞子島に祠を建て、光格殿と名付けて島の守り本尊にしたが、そり以来、彦島の十二苗祖と呼ばれる人びとは、代々、現在に至るまで左眼が細いといわれている。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
今から八百年も昔の話。
ある秋風の身に沁む夕刻、里の西南の海から、一筋の光が立ちのぼっているのを漁師が見つけた。漁師は早速、島の人びとに知らせ、人びとは河野通次にも報告した。
大急ぎで駆けつけた通次は、矛を片手に海中に飛び込み、光を指して泳いだ。そして、その中ほどに矛を突きさすと、八幡尊像があがって来た。尊像の背面には、河野八幡、と刻まれていたが、いたわしいことに、矛は尊像の左眼を貫いていた。
さっそく通次は舞子島に祠を建て、光格殿と名付けて島の守り本尊にしたが、そり以来、彦島の十二苗祖と呼ばれる人びとは、代々、現在に至るまで左眼が細いといわれている。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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- 金の鶴 (2020/03/25)
Posted on 2020/03/26 Thu. 11:01 [edit]
category: ひこしま昔ばなし
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26