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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

こびんおおひと 

こびんおおひと


 むかし、世界旅行に出かけたおおひとが彦島をまたごうとした時、連れていたお転婆でヤンチャな一人娘が
『おなか、へったあ』
 といって座り込んでしまった。
 父親のおおひとは驚いて、
『すぐそこの海まで行きゃあ、好きなだけ魚が泳ぎよるけえ、もうちっと元気出せ』
 と、なだめすかしたが、娘はもう、テコでも動かなかった。やむなく、おおひとは、すぐ近くの浜辺でタコ、サザエ、エビ、イサキなどの海の幸を手掴みで採っては娘に食べさせた。

 だから、娘がへたばって尻もちをついた浜辺を『江尻』といい、南風泊から西山へかけての海辺には、『タコ岩』『サザエの瀬』『エビタ』『イサンダ』などという地名が残った。

 たらふく食べて、ようやく元気になった娘は『ヨイショ』と立ち上がり、そばにあった石に足をかけ『ヤッ』と玄界灘めがけて旅立って行った。
 父親のおおひとは大慌てで海に入り波をヒザでかき分けて娘のあとを追うたが、その時の波音があまりにも大きかったので、響灘と呼ばれるようになったという。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
西山の波高バス停の近くに『明神』と呼ばれる祠がある。そのそばに『こびんおおひと』の足跡だと伝えられる石が残っている。
『おおひと』の地名としては、本村のほかに、西山フイキンの浜が『大人崎』で、田の首の生板の瀬に『大人岩』があり、弟子待には、『大人足跡砲台』か゜実存していたことが、『白石家文書』に記されている。
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Posted on 2019/12/08 Sun. 10:07 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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城下町長府のプロフィール 

城下町長府のプロフィール


 本州の西端山口県下関市にこの町があります。この城下町長府の歴史は古く、この地が「古事記」や「日本書紀」などの記録の上に登場してくるのは今から約1800年前の西暦193年、仲哀天皇・神功皇后が西国平定に際し、この地に仮皇居として豊浦宮(現、忌宮神社)を置かれてからと伝えられています。
 大化の改新(645年)以降、この地方は穴門、阿武の二つの国が合わせて長門の国となり、その国府(役所)が、ここ豊浦に置かれていたことから「長門の国の国府」がつづまって、長府と呼ばれるようになりました。次いで古代貨幣「和同開珎」の鋳銭所が、現在の長府覚苑寺あたりに置かれていました。当時、全国では武蔵をはじめ5ケ所で造られたことがわかっていますが、場所が特定出来るのはここだけです。また、聖武天皇の時代に、国の守りとして奈良に東大寺が、各国の守りとしてここ長府にも国分寺、国分尼寺が建てられました。
 壇之浦の戦いで源氏は長府満珠・干珠の島の周辺に陣を構え、平家を滅亡させます。ここから武家政治が始まり、長府には守護職が置かれましたが、南北朝対立や戦国時代の争乱期には、その中心的地位を失ってしまいました。その後、戦国時代には毛利元就に追われた大内義長が、長府功山寺で自害します。そして毛利元就自身も九州平定のために長府に本陣を構えるのです。また、戦国時代の武将として人気の高い豊臣秀吉も長府を訪れています。
 時代が移り、中国8ケ国を支配していた毛利氏は、それまで長門国他の領主であった毛利秀元(毛利元就の4男・穂田元清の子)を豊浦郡の全域を藩領として、大内氏の家臣である内藤隆春がいた長府の串崎城を再建し長州藩の支藩として長府藩をおこしたのです。(この秀元は豊臣秀吉から信頼厚く、秀元の“秀”は秀吉から与えられたものです。また、秀吉が母危篤のため佐賀から大阪城へ戻る途中、関門海峡で座礁した祭にはこの秀元が救出しました。)
 そうして、長府の城下町としての歴史が始まったのです。そして、城に近い場所には大身の武士を置き、外れるに従って軽身の家臣屋敷を配し、山陽道に沿って町人が住む形が設けられるという、城下町としては珍しい配置で中世以来の町並みの構成が重んじられた結果ではないかと言われています。残念ながら城は徳川幕府による一国一城の令により取り壊され、現在は石垣のみが残されています。
 また、長府といえば忘れてはならないのが、明治維新の中心として活躍した奇兵隊や長府報國隊の拠点として深く関わった地でもあり、高杉晋作や坂本龍馬ら多くの志士たちが、この地より日本の夜明けのために奔走しました。特に高杉晋作がわずか80人を率いて起こした功山寺挙兵は有名です。この挙兵がやがて、武士の時代を終わらすことになったのです。
 また、日露戦争で活躍した乃木大将が幼年期この地で過ごしたのです。昭和には、東洋一と言われた下関水族館が開館し、水産都市のシンボルとしてくじら館が建築されました。
 春夏秋冬、土塀(練塀)から見える四季折々の花や川沿いの草花を愛でながら、また、歴史的な町並みに往時を偲びながら、のんびり散策してはいかがでしょうか。


長府観光協会ホームページより
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Posted on 2019/12/08 Sun. 09:30 [edit]

category: 下関あれこれ

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