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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

身投げ石 

身投げ石


 海士郷桟橋の裏手の丘は、小戸山と呼ばれています。その北側の中腹、小瀬戸海峡に突き出たあたりに、大きな岩が海面からそそり立っています。
 それが伝説で名高い『身投げ石』で、岩の上には幾つもの五輪塔やお地蔵様がまつられています。
 むかし、壇ノ浦の合戦のあと、平家の一武将の妻が海峡の潮に流されて、小戸の浜に打ち上げられました。
 不思議に一命をとりとめた妻は、御裳川の藻屑と消えた夫を慕って毎日、小戸の岩にのぼり、武将の名を呼び叫んでは泣きつづけました。
 再び戻って来る事の無い夫を呼ぶその姿に、浦びとも、つい貰い泣きする始末でした。
 ある風の吹きすさぶ夕暮れのこと、女は、狂乱したように大岩にかけのぼって、東を伏し拝みました。そして、大声に何かを叫んだかと思うと、そのまま渦巻く小瀬戸の流れに身を投げてしまいました。
 浦びとは、女の死を悲しみ、岩のそばに小さな祠を建てて供養しました。
 その後、誰いうとなく、大岩のことを『身投げ石』と呼ぶようになったということです。



富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
 下関と彦島を隔てる海峡は、正しくは、小瀬戸海峡であるが、一般には、小門海峡と呼ばれている。
 そして、下関側の伊崎には『小門』という地名があり、その対岸、彦島の地名は『小戸』である。どちらも『おど』と呼ぶ。
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Posted on 2019/12/03 Tue. 09:32 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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下関の人物 藤本 英雄 

藤本 英雄 ふじもと ひでお(1918-1997)


大正7年、韓国の釜山市で生まれました。
三歳のときに下関市彦島町に転居。昭和13年に下関商業高校を卒業。
甲子園には、同10年と同12年の選抜大会に出場し、二回目のときは優秀選手賞を獲得しています。
下商時代は、二年先輩の高井英一郎とバッテリーを組み、その後明治大学に進むと、二年生でエースとなり六大学リーグで二回優勝。同17年明治大学を卒業し、東京巨人軍に入団しています。
同21年まで巨人で活躍したあと、中日に移りますが、同23年に再び巨人に戻っています。
肩をいためてどん底の時代もありましたが、スライダーの会得で立ち直り、日本でのスライダーの生みの親となりました。スライダーで再起したのち、同25年6月28日、青森球場で西日本チームを相手に、日本プロ野球史上初めての「完全試合」の偉業を達成。
同51年にプロ野球殿堂入りをしています。プロ野球を引退後、同32年から三年間、大和証券の野球部監督として迎えられていました。
平成9年に亡くなりました。享年78歳でした。


「下関の人物」下関市教育委員会刊行より


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Posted on 2019/12/03 Tue. 09:04 [edit]

category: 下関あれこれ

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