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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

耳なし芳一 

耳なし芳一


 むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。
 そのお寺に芳一(ほういち)という、びわひきがいました。
 芳一は幼い頃から目が不自由だった為に、びわのひき語りを仕込まれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚(おしょう)さんをしのぐほどになっていました。
 阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見込んで、寺に引き取ったのでした。

 芳一は源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、誰一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。

 そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの最後の決戦が行われ、戦いにやぶれた平家一門は女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底に沈んでしまいました。
 この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。

 ある、蒸し暑い夏の夜の事です。
 和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は一人でお寺に残ってびわのけいこをしていました。
 その時、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)に座っている芳一の前で止まりました。
 そして、声がしました。
「芳一! 芳一!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか? わたしは、目が見えませんもので」
 すると、声の主は答えます。
「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのびわを?」
「さよう、やかたへ案内するから、わしの後についてまいれ」
 芳一は身分の高いお方が自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者について行きました。
 歩くたびに、『ガシャッ』、『ガシャッ』と音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。
 門をくぐり広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。
 そこは大広間で大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。
 一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)が、言いました。
「芳一や。さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」
「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・壇ノ浦のくだりを」
「かしこまりました」
 芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。

 ろをあやつる音。
 舟に当たってくだける波。
 弓鳴りの音。
 兵士たちのおたけびの声。
 息たえた武者が、海に落ちる音。

 これらの様子を、静かに、もの悲しく語り続けます。
 大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。
 やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくは誰も口をきかず、シーンと静まりかえっていました。
 やがて、さっきの女官が言いました。
「殿も、たいそう喜んでおられます。
 良い物を、お礼に下さるそうじゃ。
 されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。
 明日の夜も、このやかたにまいられるように。
 それから寺へもどっても、この事は誰にも話してはならぬ。
 よろしいな」
「はい」

 次の日も、芳一は迎えに来た武者について、やかたに向かいました。
 しかし、昨日と同じ様にびわをひいて寺に戻って来たところを、和尚さんに見つかってしまいました。
「芳一。今頃まで、どこで何をしていたんだね?」
「・・・・・・」
「芳一!」
「・・・・・・」
 和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って一言も話しませんでした。
 和尚さんは芳一が何も言わないのは、何か深いわけがあるに違いないと思いました。
 そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるような事があったら、そっと後をつけるようにいっておいたのです。

 そして、また夜になりました。
 雨が、激しく降っています。
 それでも芳一は、寺を出ていきます。
 寺男たちは、そっと芳一の後を追いかけました。
 ところが目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように姿が見えなくなってしまったのです。
「どこへ行ったんだ?」
と、あちこち探しまわった寺男たちは、墓地へやってきました。
 ビカッ!
 いなびかりで、雨にぬれた墓石が浮かびあがります。
「あっ、あそこに!」
 寺男たちは、驚きのあまり立ちすくみました。
 雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。
 その芳一のまわりを、無数の鬼火が取り囲んでいます。
 寺男たちは芳一が亡霊(ぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へ連れ戻しました。

 その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをする事にしました。
 その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)を書きつけるのです。
「芳一、お前の人なみはずれた芸が、亡霊を呼ぶ事になってしまったようじゃ。
 無念の涙をのんで海に沈んでいった、平家一族のな。
 よく聞け。
 今夜は誰が呼びに来ても、決して口をきいてはならんぞ。
 亡霊にしたがった者は、命を取られる。
 しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬ事じゃ。
 もし返事をしたり声を出せば、お前は今度こそ殺されてしまうじゃろう。
 わかったな」
 和尚さんはそう言って、村のお通夜に出かけてしまいました。

 さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声が呼びかけます。
「芳一。芳一。迎えにまいったぞ」
 でも、芳一の声も姿もありません。
 亡霊は、寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」
 辺りを見回した亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど、和尚のしわざだな。
 さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。
 仕方ない。
 せめてこの耳を持ち帰って、芳一を呼びに行ったあかしとせねばなるまい」
 亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、
 バリッ!
 その耳をもぎとって、帰って行きました。
 そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。

 寺に戻った和尚さんは芳一の様子を見ようと、大急ぎで芳一のいる座敷へ駆け込みました。
「芳一! 無事だったか!」
 じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。
「おっ、お前、その耳は・・・」
 和尚さんには、全ての事がわかりました。
「そうであったか。
 耳に経文を書き忘れたとは、気がつかなかった。
 何と、かわいそうな事をしたものよ。
 よしよし、よい医者を頼んで、すぐにも傷の手当てをしてもらうとしよう」
 芳一は両耳を取られてしまいましたが、それからはもう亡霊につきまとわれる事もなく、医者の手当てのおかげで傷も治っていきました。

 やがて、この話は口から口へと伝わり、芳一のびわはますます評判になっていきました。
 びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』と呼ばれるようになり、その名を知らない人はいないほど有名になったという事です。

おしまい
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Posted on 2019/12/31 Tue. 11:32 [edit]

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31

佛岩(ほとけいわ) 

佛岩(ほとけいわ)


 むかし、むかしのことじゃ。

 小戸の浜に『佛岩』ちゅう、位牌みたような石が立っちょった。
 源平合戦のころの話ちゅうことじゃ。

 平知盛さまの軍船は海士郷から出陣なされて、壇ノ浦で戦われたが、武運つたのうして小戸に押し流されてしまわれた。
 義経ちゅう男は、どねぇもこねぇもならん、どだい意地きたなあ奴で、どないなことがあろうと平家一門を全滅せにゃならん、ちゅうて深追いして来たそうな。
 そいで平家の武士たちは、小戸の瀬戸まで流されて来た時、ここをせんどちゅうて、次々に海に身を投げてしまわれた。うん、御裳川の先帝のみあとを追うたわけじゃな。

 そいでも死にきれんで、陸に泳ぎ着いた武士が何人か居って、そのお人らは寄り合うて一門の霊を慰めることをあれこれ詮議なされたらしい。
 そして、そこらにあった大けい根石を位牌の形に刻み込うで、表面に経を彫って、ねんごろに供養したちゅうことじゃ。
 それを平家一門の墓とせんやったのは、源氏の詮索を恐れてのことで、ほいじゃけぇ、みんなは『佛岩』ちゅうことだけで、一門の霊を弔ろうて来たんじゃろう。


 ワシらが、まだこまあころにゃあ、あねえな石やぁ、ようけあったい。ほいであの磯のことを『佛の瀬』とも言うて、あの瀬に船をこじ当てたり、木っ端になった漁師もようけ居って、みんながあの瀬にゃぁ気いつけぇょ、言うて恐れたもんじゃが。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
この話は、ある古老から聞いたものを、そのままの口調で書き写した。
この話の面白さは、源氏方の英雄、義経を悪者扱いしていることで、これほど憎々しく語りついだ例は、全国でも珍しいに違いない。
『仏岩』には、怪談めいた話が多く残されている。海士郷や小戸地区に伝えられたものであるが、それだけに、漁師にまつわる話しばかりであったようだ。それも、殆ど、すたれてしまって語られないのが惜しい。
今、古老の口から聞き出せるものといえば、『佛の瀬』と『小瀬戸の海坊主』くらいしかないようである。
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Posted on 2019/12/30 Mon. 09:40 [edit]

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30

姫ノ水 

姫ノ水


 壇ノ浦の合戦で、悲しくも平家は敗れました。その時、四人の官女が一門から離れて彦島にかくれましたが、数日もしないうちに欠乏の生活に耐えられなくなってしまいました。彼女たちは、このまま島にかくれていても貧するばかりと、思いあまって大瀬戸の流れに身を投げました。

 しかし、そのうちの一人は死ぬことも出来ず、砂浜に押し上げられてしまいました。
 里人に助けられたその女は、三人の官女や一門の人びとの幸せを羨み、平家全盛のころの華やかな毎日を思い出しては、日夜泣き通しました。そして、日に日にやせおとろえていきましたが、ある朝、こつぜんと姿を消してしまいました。

 里人たちが手分けをして探しまわりましたところ、浜辺からかなり奥まった山中に、のどをかききった官女のなきがらがありました。
 人びとは、彼女の死をひどくいたんで、その地に手厚く葬り、一本の杉を植えました。そして、どこにでもあるような山石を運んできて、官女の墓を建てました。

 ところが、不思議なことにいつの頃からか、墓石の下から冷たい水が湧きはじめたのです。そればかりか、杉の木はぐんぐん伸びて何年もたたないうちに見上げるような大樹に成長しました。

 人びとは、この水のことを『姫ノ水』と呼び、杉の木の付近を開拓して『杉田』と名付けました。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
古老の話によれば、姫ノ水の墓石は明治中頃までその場に建っていたが、どこかの蓮屋がその付近の田を買い占めた際に、取り払ってしまったという。
ところで、これに似た話が下関にもある。『官女の水』というのがそれであるが、話の舞台は金比羅付近ということになっている。
面白いことに金比羅から幡生へかけては、蓮田が広がっている。そこで私は、何年か前に、この付近の蓮田の所有者を尋ね歩いた。そして、ようやくKという蓮根業者を捜しあてた所、その庭には『平家塚』と呼ばれる祠がまつられてあった。
Kさんの話によれば、それは昔からただ『平家塚』とだけ呼ばれていたそうであるが、私にはこの塚石が『官女の水』であり『姫ノ水』であると思えてならない。
例えば『姫ノ水』の墓石が、金比羅に移され、その時、彦島で聞いた伝説が、そのまま石のいわれとして伝えられたため、『官女の水』という話に変わっていったのかもしれないのである。因みにKさんは、戦前まで、杉田、角倉一帯にも手広く蓮田を持っていたという。
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Posted on 2019/12/28 Sat. 09:39 [edit]

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28

小平家(こべけ) 

小平家(こべけ)


 壇ノ浦の合戦で命からがら逃げのびた平家の官女たちは、彦島や伊崎などに秘かにかくれて住んでいた。

 やがて源氏の追っ手の者も数少なくなり、梅雨が過ぎ、夏が本格的な暑さとなったある日、官女の一人がそっと浜辺に出てみると。何百、何千という蟹の大群が浜辺を這い回っていた。
 女は驚いて、みんなを呼び集めたが、ゾロゾロと出て来た女たちは、それぞれに蟹を掌に乗せてみて、一斉に叫び声をあげた。

「まあ、驚いた。この蟹には、人間のような顔がある。しかも、恨めしそうに涙まで流して…」

 そのおびただしい蟹の大群は、どれを取っても、甲羅には人の顔、それも武士を思わせるようなりりしい顔がはっきりと浮き出て、目と思われるあたりからはボロボロと涙のような雫が落ちていた。

「本当に、どうしたことでしょう。この蟹たち、みな泣いているようネ。それにしても、この怒ったような、悲しいような顔、なんだか、こわいみたい」

 女たちが口々にそんなことを言っていると、掌の一匹の蟹が、小さな声で、それでもはっきりと人間の言葉で話しはじめた。

「我々は、本当は蟹ではない。ついこの間まで、お前たちと苦楽を共にして来た平家の一門だ。あの日、壇ノ浦で、天皇様のお供をして海へ飛び込んだが、どうにもくやしゅうてならん。我々を滅ぼした源氏が憎うて、このままでは到底、成仏できん。それで今は、蟹に身を変えて鎌倉打倒の機会を待っているのだ」

 それを聞いた女たちは一斉にシクシク泣き出した。

「知らないこととは言いながら、ほんに、おいたわしいこと。それに引きかえ、私たちは、こうして彦島に隠れ住んでいますが、毎日をひっそり生きてるだけで、本当に申し訳ないことです」
「そうです。これから私たちも、源氏を倒すために、何かお役に立つことを考えましょうよ」

 その時、一人の女がこう言った。

「私たちは、蟹ではなく、魚になりましょう。そうだ、魚の王様、鯛になりましょう。そして生きている人びとに食べられることによって、私たちの怨念を人間に乗り移らせるのです」
「そうよ、私たちのような可弱い女には、源氏を滅ぼす良い方法といえば、それしかありませんね」

 女たちはまたたくまに同意して、多くの蟹たちが心配げに見上げる中を、次々に海に入っていった。彦島と下関の間の小門海峡は、その頃、日本一流れが速かったから、女たちはみるみるうちに流されて沈んでしまった。


 それから何か月かたって、この海峡では、今まで全く見られなかった小さな美しい鯛が群をなして泳ぎはじめた。

「これは平家の官女たちの化身だ。恐れおおいが、これをたらふく食べて、一日も早く源氏が滅びるように祈ろうじゃないか」
「そうだ、これは平家の… いうなれば小さな平家、つまり小平家の怨念がこもっている。その恨みつらみを、ワシらが代わって晴らしてやろう」

 彦島の漁師たちは、その小鯛を釣りあげて口々にこういった。そして、それからというもの、彦島や下関では、小鯛を小平家(こべいけ)と呼び、塩焼きののち酢漬けにして、しこたま食べる習慣が出来た。
 しかし、平家を食べるということは良心が許さず、小平家(こべいけ)のことを小平家(こべけ)と詰めて呼ぶようになったが、それでもなお気がとがめたのか、いつの頃からかコマコダイとも呼ぶようになった。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
壇ノ浦で入水した平家武将の化身だと言われる『平家蟹』は、ラフカディオ・ハーンの作品によって世界的に知られている。これに対して『小平家』は10センチ内外の小鯛で、下関では平家の女性たちの化身だと信じられてきた。どちらも悲劇的ドラマに凝縮させた動物変身伝説の典型である。
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Posted on 2019/12/27 Fri. 10:52 [edit]

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お夏だこ 

お夏だこ


彦島の西山に、お夏という十八歳になる娘がいました。
娘の家は漁師をしていましたが、家が貧しく、そのうえ両親が病気がちで寝込むことが多く、その分だけ、お夏は人の倍も働き家計を助けていました。
海が荒れている日は、仕事も出来ず、そのためお天気になりそうな日は、まだ暗いうちから起き、支度をし人より早く海に出て仕事をしはじめました。

そのうち父親の病気が悪くなり、もう命もあとわずかというとき、父親は、やせ細った手で娘をまねき、
「娘や、わしはもう一度あのおいしいタコが食べたい。すまないが、タコを捕ってきておくれ」
「でもお父さん、そんなに弱った体に、タコは無理ですよ」
と娘は心配そうにいいましたが、父親は、どうしてもタコが食べたい、死ぬまでにもう一度食べておきたいと、何度も娘に頼みました。

そこで娘は、あくる日、銛を持って海岸に出ました。
箱眼鏡をのぞいてタコを探しますが、なかなか見つかりません。
父親があれほど食べたがっているタコです。
どうしても一匹でも捕って帰らねばと、とうとうお日様が水平線に消えかかる頃まで探しまわりました。

しかし、見つけることができません。
娘はガッカリして帰り支度をしていて、ふと四、五メートル先の岩場を見ると、その向こう側にタコの足らしいものがのぞいています。
しめたと思って娘は静かに岩の反対側に回ってみて驚きました。

そのタコは、タコには違いありませんが、なんと人間より大きいタコでした。
娘はとっさにこう考えました。
「たこは眠っているようだから、足を一本だけ切り取っていこう。そうすれば、また父親が食べたいといったときに捕りにこられる」

娘は用意していた刃物で、用心しながら足を切り取り、持ち帰りました。
あまりに大きかったので、近所の漁師にも分けましたが、一番に、父親は
「あー、これはうまいタコじゃ」といって喜んで食べてくれました。

それから二、三日たつとまた父親は、タコが食べたいといいだしました。
娘はいつかの大ダコのいた場所に行き、また足を一本切り取って帰りました。

こうしたことが何回かあって、あの大ダコの足は、たった一本になってしまいました。
はじめのタコの足を捕ってから、二十日ばかり過ぎていました。

娘はまた父親の願いで、タコのいる場所へでかけました。
娘は、いつもタコが逃げもしないで、眠っているようすなので、今日も安心してタコに近づき、最後の一本を切り取ろうとしました。

しかし、その時、タコは残りの一本を娘の胴に巻きつけ、そのまま海底深く引きずっていきました。

お夏の帰りが、あまり遅いので、母親をはじめ近所の漁師たちが海に出て一日中探しましたが、ついにお夏の姿を見つけることはできませんでした。

それからは、この海岸にあがってくるタコを「お夏だこ」といって、漁師たちは祟りを恐れ、タコを捕らなくなったといいます。


(注)
伝説として語り伝えられているお話の中には、心の優しい孝行な娘の話がいろいろありますが、この「お夏だこ」の話や、「幽霊祭」「福笹」などの話も、そうしたものの一つです。


『下関の民話』下関教育委員会編
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Posted on 2019/12/26 Thu. 10:10 [edit]

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鬼の墓 

鬼の墓


 舞子島の西側に、大きな眼鏡岩がそびえ立っておる。
 むかし、この海岸は多くの鬼どもの根城であった。鬼どもは朝に夕に、眼鏡岩にのぼっては沖を通る船を監視しておった。そして、荷物をたくさん積んだ船が通りかかると、小舟を漕ぎ出して、さんざん掠奪をくり返した。

 そのやり方が、あまりにあくどいので、ある日、テントウ様がお怒りになり、鬼どもをこらしめることになった。
 その夜、鬼どもが総勢集まって円陣を組み、酒盛りをしておると、一天俄かにかき曇り大嵐となった。その上、雷までが頭のすぐ上をころげ回った。
 鬼どもは大慌てでわれさきにと逃げはじめたが、時はすでにおそく、次つぎに落雷して、ことごとく死んでしもうた。
 ところが、死骸となった鬼どもの表情は、ほとんどが赤ん坊のように柔和にあどけなく美しかった。

 それをみたテントウ様は、
『鬼も、死ねば天に還るか』
 と、つぶやかれて、眼鏡岩のそばに鬼の死体を集めて、ねんごろに葬られた。
 しかし、その数は思っていたよりもはるかに多く、とうとう大きな山になってしまった。テントウ様は、死体の山に土をかけ、その冥福をお祈りになった。

 やがて、この浦にものどかな春がやってきて、人びとは鬼の墓のことを『丸山』と呼び、眼鏡岩の近くの岩屋を『鬼穴』と呼ぶようになった。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
舞子島近くの海岸線は、約三千万年前の浸蝕がそのまま残されていて、奇岩怪礁の地であるが、この付近は、今でも『鬼崎』と呼ばれ、『テトリガンス』を『鬼穴』と呼んでいる。
眼鏡岩や『丸山』は、通称、ドックの浜に、現在もそのままの形で残っている。
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Posted on 2019/12/25 Wed. 09:45 [edit]

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おおひと 

おおひと


 むかし、彦島では、本村町のことを地下(じげ)と呼んでました。
 もともと『地下』というのは、宮中に仕える人以外の家格で、一般には農民や庶民のことを指しています。それが転じて山口県では、自分の住んでいるところ、つまり地元という意味で使われています。

 彦島だけが、地下を地元でなく、島の中心を指して呼んでいた訳です。
 島では、古くから子どもたちの間で、こんな歌が唄いつがれていました。


  大江屋敷の おおひとは

  けんのう飛びで どこ行った

  和尚さんに聞いたれば

  和尚さんは知っちゃあない

  タイヨさんに聞いたれば

  タイヨさんも知っちゃあない

  どーこー行った どこ行った

  地下の山を けんのうで

  大江山を 飛び越えた


 けんのう飛び、というのは片足跳びのことで、タイヨさんは『太夫』つまり、お宮の神主のことです。また、『知っちゃあない』は、『知っては居られない』という敬悟だそうです。
 このわらべ唄については、面白い話があります。

 むかしむかし、大むかし、天をつくような大男が、旅の途中も馬関と門司に足をかけ、海峡の潮水で顔を洗いました。
 その時、クシュンと手鼻をきった所が、今の岬之町で、丸めた鼻くそをポイと捨てたら六連島が出来、プッと吐き出した歯くそは小六連島になりました。
 それでさっぱりした大男は、鼻唄まじりに何やら唄いながら、彦島に右足をおろし、大股ぎで海の向こうへ消えていきました。その時の大きな波音はいつまでもこの近くの海に残って、響灘と名付けられました。
 大男が去っていく時、踏みつけた右足は、小高い山を砕いて谷をつくり、そこは今でも『大江の谷』と呼ばれています。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

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Posted on 2019/12/24 Tue. 10:26 [edit]

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七本足のタコ 

七本足のタコ


 西山と竹ノ子島の間に、獅子ヶ口ちゅう大きい怪岩が、口をあけて不気味なかっこうでそそり立っちょる。

 むかし、この磯辺に、お夏ていう気丈な女が住んじょった。どだい力も強うて、大食いじゃったが、ある日、磯でワカメを刈りよると、人間ほどもある大ダコが、岩の上で生意気に昼寝をしちょるのが見えた。
『こいつは、うまそうや』
 と、大食漢のお夏はそろっと近づいて、その足を一本、鎌で切り取り、持ち帰った。そして夕食の膳にそえて、たらふく食うた。

 四、五日たって、また同じ岩で昼寝をしちょる大ダコを見つけたお夏は、ごっぽう喜んでその足の一本を切ろうとした。ところが、大ダコは待ち構えちょったように、七本の足をお夏に巻きつけて、ズルズルと海へ引きずり込んでしもうた。

 その後も、七本足の大ダコは、時々出て来ては、岩の上で昼寝をしちょったが、浦の漁師らは、誰も恐れて近寄ろうとはせんじゃったといや。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
これも一般には『お夏ダコ』として伝えられている話である。
ところで、お夏は、話す人によって、女であったり、娘であったり、老婆であったり、それぞれ違っているようである。
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Posted on 2019/12/23 Mon. 10:35 [edit]

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佛の瀬 

佛の瀬


 昭和の初めのころまで、小戸の身投げ岩から海士郷寄りのゆるい坂道をくだり切った浜辺に位牌の形をした岩が建っていました。
 この岩のことを彦島の人びとは、むかしから『ほとけ岩』と呼んで、いつも花を絶やさなかったといいます。

 むかし、壇ノ浦合戦のあと、平家の落人は、小門の王城山や彦島などに隠れ、平家の再興をはかっていました。
 しかし、やがてその望みも絶たれてしまいましたので、ある者は漁師となり、ある者は百姓になり、またある者は海賊に身をやつしてゆきました。

 その中に一人だけ、かつての栄華の夢が忘れられず、武人の誇りを守り通そうとする男が居ました。その武士は、百姓、漁師などに身を落としてゆく一門を見つめながら、日夜、悶々として生きていましたが、ついに自分の生きる道をはかなんで、小瀬戸の流れに身を投げてしまいました。

 浦びとたちは、その武士の死をいたみ、大きな墓石を建てて、霊を慰めました。すると小瀬戸の急流に押されたのか、大小いくつもの岩石が墓石のまわりに寄せ集められて、いつのまにか大きな岩礁が出来ました。
 そこで誰いうことなく、墓石のことを『ほとけ岩』と呼び、その周囲の岩礁を『佛の瀬』と呼ぶようになりました。

 ところが、不思議なことが起こりはじめました。というのは、そこを通る漁船から、少しでも白いものが見えたりすると、急に潮流が渦巻いて荒れ狂うようになったのです。
 だから漁師たちは、船に赤い旗を立てて小瀬戸の海峡を航行するようになりました。

 今、船に色とりどりの旗と共に、大漁旗などを立てる風習は、この赤旗のなごりだそうです。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
この佛の瀬は、下関漁港修築の際に取り除かれ、現在はその影をとどめない。
ここでは『佛岩』の伝説とかなり違ったものになっているが、いずれにしても、永い間、庶民の間に、平家の哀しさが語り継がれたことだけは間違いないようだ。
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Posted on 2019/12/22 Sun. 10:55 [edit]

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身投げ岩 

身投げ岩


 大阪の豪商の一人娘、お米は評判の美人でした。お米には、行く末をちぎった男が居ましたが、ある日、男は他に恋人をつくり、手に手をとって大阪を逃げてしまいました。
 それを聞いたお米は親の止めるのも聞かず男のあとを追って家を飛び出しました。そして、諸国を尋ね歩いた末、彦島にやって来ましたが、求める姿はどこにも見当たりませんでした。

 心身共に疲れ果てたお米は、小戸の大岩に腰をかけて、逆巻く小瀬戸の潮を見つめていましたが、思いあまって、そこから身を投じてしまいました。

 その後、どこかでお米の噂を伝え聞いた若者が彦島を尋ねてきて、お米の最期をことこまかく聞き歩きました。そのあげく、自分の前非を悔いたのか、ある日、同じ岩の上から身を投げてお米のあとを追いました。


 それ以来、七日毎の命日の夜には、大きな青い火が二つ、小戸の空を追いつ追われつ飛んでは海に落ちて消えるようになりました。

そこで、島びとは西楽寺の和尚にお願いして読経して貰ったところ、その夜から二つの火は見られなくなりました。


 島びとは二人の供養のため、岩の上に石塔を建てて、いつまでも花を絶やさなかったと伝えられています。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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Posted on 2019/12/21 Sat. 09:34 [edit]

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