10 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 12

彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

身投げ岩 

身投げ岩


 寿永4年3月、源平最後の決戦である壇ノ浦の戦いでは、安徳天皇に付き添った祖母二位の尼(時子)や母建札門院(徳子)をはじめとする女性達も多くが一門と共に船出しましたが、女性は戦に同行することを強制されませんでしたので多くの女性が島に残って戦いの行方を島影で息を殺して見守っていました。

 壇ノ浦の合戦は罪もない彦島の漁師が担っていた平家方の船の船頭を次々に射殺して船の自由を奪う作戦に出た源義経の奇策によって平家一門の滅亡で戦が終わり、源義経を総大将とする源氏軍は串崎(現在の長府外浦)、赤間関(現在の唐戸付近)、彦島に次々に上陸しました。
「新平家物語」によると義経は彦島に上陸して仮の住まいをしつらえたとされています。源氏軍は京都を出て以来の、瀬戸内の凶作による食糧難や、義経得意の不眠不休の強行軍のために、軍のモラルは非常に低下しており、上陸した兵士の多くは半ば暴徒と化して、民家の倉や田畑を荒らし回りました。

 平宗盛に暇乞いをした京都の女官や雑仕女(ぞうしめ)たちは、島内の平家一門の住居跡や漁師の家にかくまわれるなどして潜んでいましたが、彼女たちは、ここまで日夜、戦に明け暮れてきた暴徒達の格好の標的となり、源氏の兵士達は許されざる陵辱の限りを尽くしました。
 多くの女性は乱暴を受けた後に殺され、また、誇り高き平家の女性達は命だけは助けられてもその多くは自ら命を絶ちました。

 ここ身投げ岩近辺は彦島の中では壇ノ浦からはもっとも遠く離れた地であり、義経が占領した御座所(彦島城)からも遠く離れた寂しい漁村でしたので、特に多くの女性達が隠れていました。したがって、被害にあった女性ももっとも多く、彼女たちはある者は源氏の兵の手から逃れるため、ある者は受けた辱めに耐え切れず、次々にこの身投げ岩の断崖から当時日本でもっとも流れの速い海峡だったこの小瀬戸に身を躍らせたのでした。

 身投げ岩の上にたつ桃崎稲荷大明神は800年たった今でも花が絶えることはありません。
関連記事

Posted on 2019/11/28 Thu. 09:07 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

TB: --    CM: 0

28

電車の開業日は大正?昭和? 

電車の開業日は大正?昭和?

 山陽電気軌道株式会社は大正13年9月27日に設立されましたが、それから更に2年をかけて長府から下関に至る国道2号線の改良工事と併せて電車の軌道敷設が行われました。
 沿革でも写真をご紹介しましたが、最初の電車8両は大八車に載せて、国鉄長府駅より牛と馬に引かせ、のらりのらりと運んだそうです。

 そしてついに大正15年12月25日の開通を迎え、午前10時より開通報告祭を長府松原車庫にて挙行する予定でした。しかし、この日の深夜に大正天皇が崩御され、新しい元号が昭和と発表されました。
 そのため山陽電軌は大正時代の最後の日、昭和時代の最初の日に開通したといえます。

 翌昭和2年3月27日からはたくさんの花輪と電燈をしつらえた「花電車」が運転され、4月9日に改めて開通祝賀式が挙行されました。

写真は昭和3年4月の長関第二期線(松原~壇之浦間)の開通式の風景
column_1-300x192.jpg
関連記事

Posted on 2019/11/28 Thu. 08:50 [edit]

category: 下関あれこれ

TB: --    CM: 0

28