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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

フクが踊る【南風泊漁港】 

フクが踊る【南風泊漁港】


奇岩に根をからませた野菊が、冷たさを増した潮風に全身を揺らせながら、行く秋と名残を惜しんでいました。

竹ノ子島は一周およそ2キロメートル、彦島とは「昭和橋」で結ばれています。
この島は、彦島の西端に位置するため、灯台や潮流信号所があり、関門海峡に出入りする船舶にとっては、大切な所です。

台場ヶ鼻の潮流信号所は、明治42年に創設されたもので、図形や色によって潮流を表示していましたが、現在では電光板へと変っています。

潮が引いた海辺には、小さなニナが無数に見られ、あちこちの岩場では、釣りを楽しむ人の姿がありました。

竹ノ子島をめぐって、フクの水揚げ量が全国の九割を占める南風泊漁港へ進むと、ちょうど接岸中の船からフクを水揚げ作業中でした。
船の生簀から網ですくわれたフクは、手早く市場内の活魚槽に運ばれ、午前3時20分からのセリを待ちます。

トラフクの大きなものは、一匹五万円もするという説明には一同驚きの声をあげたものです。

市場内の見学を終え、市指定文化財の貝化石層が見られる西山海岸へ。
下関の海岸線の中でも特異な景観です。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2019/11/25 Mon. 10:32 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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最古級の六連島灯台 

海峡の安全を守る

最古級の六連島灯台

六連島灯台は、お雇い外国人灯台技師R.H.ブラントンが、明治元年、日本に着任して間もなく、関門海峡の西に六連島灯台の必要を進言し、明治3年10月29日に起工、翌4年11月28日に完成しています。

六連島灯台の点灯は、明治4年8月の伊王島灯台、11月の佐多岬灯台に次ぎ、西日本では三番目のことです。

明治5年6月12日、19歳の明治天皇が、西郷隆盛の先導で行幸しています。
わざわざ六連島灯台へ行幸、というのは、当時、最先端の灯台であったことを物語っています。
灯台近くには、行幸記念の碑も建っています。

このとき、明治天皇の宿泊所となったのが、春帆楼下にあった伊藤家で、お世話したのが白石正一郎でした。
西郷隆盛は、安政4年11月12日、白石正一郎邸を訪れており、すでに顔見知りであったことからと思われます。

関門海峡の東には、部崎灯台が明治5年1月22日に点灯しています。

いずれも、国内最古級で、関東地方の灯台が関東大震災で破壊したことから、原型をとどめる洋式灯台として貴重な存在で、それぞれ下関市、北九州市の指定文化財となっています。

灯台は、15秒に一回、あるいは10秒に一回などの閃光の間隔がそれぞれ違っています。
船舶はその閃光間隔によって、どの場所の灯台かを確認できるようになっています。

関門海峡から北に約50キロ、角島灯台は全国でも有数の大型灯台で、その姿も美しく、明治9年3月1日に初点灯し、現在も、当時設置された巨大なレンズがつけられています。

これらの灯台や浮標・信号所などは、下関市彦島塩浜町二丁目の第七管区海上保安本部の関門航路標識事務所・関門浮標基地が管理し、敷地内には灯台の貴重な資料を保管する灯台資料館があります。


安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より
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Posted on 2019/11/25 Mon. 10:02 [edit]

category: 関門海峡雑記帳

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【忌宮神社】 

【忌宮神社】
仲哀天皇が熊襲平定のために豊浦宮を営みましたが、業半ばで崩御され、宮殿跡に祀られました。神亀年間に聖武天皇は筑前香椎宮から神功皇后の霊を遷し、応神天皇と合わせてお祀りになりました。(『防長寺社由来』)

【印内】
仲哀天皇が豊浦宮に入られた時、印内の方角が宮の鬼門にあたるので、この地で陰陽師に祈祷をさせました。(『豊府志略』)

【壇ノ浦】
神功皇后がよその国を討たれたとき、祈りのために祭壇をたてられたことにより、壇ノ浦と名付けられました。(『道ゆきふり』)
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Posted on 2019/11/25 Mon. 09:08 [edit]

category: 下関あれこれ

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